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「初めての英会話」 from 新井中生徒会誌 in 1964 (S. 39)

1964年当時の、野尻湖・弁天島
1964年当時の、野尻湖・弁天島

#00 前書:Preface

From Blog on 2013.06.05

1963.02月撮影の新井中学校 (北西からのアングル)、ここは現在、新井小。
1963.02月撮影の新井中学校 (北西からのアングル)、ここは現在、新井小。

野尻湖外国人村冒険旅行 30回シリーズBroadcasted on 2007.09.28 ~2009.01.30

 

# 00 Preface <前書き> 中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

1964年 (昭和39年)は、東京オリンピックの年、高度成長経済の前期の渦中でした。ヨッシーは所謂、「団塊の世代」の最終年代に当たります。

1964 (Showa 39) was the year of Tokyo Olympics and in the middle of the first stage of high economic grows in Japan. Yoshy was born in the last edge of a baby boomer generation.

 

 

当時、中3の私は生徒会の編集部長でしたので、毎月の新聞、「萌芽」と、卒業記念の「生徒会誌」を部員と一緒にほぼ毎日放課後、8時ころまで作っていました。

In my third grader of Arai J/H School, as I was the editor in chief of student-council; the members and I had made monthly newsletter named “Hoga: Awakening” almost every evening, after school: until around 8:00 pm and at the end of the year, we made yearly “Students’ Memorial Book of the Year.”

 

 

偶々「佳作」になったこの作文は、生徒会誌に印刷されました。

This essay written by Yoshy fortunately won a prize, “Well Written Prize”, so it was printed in this memorial book.

 

 

今読み直すと、冷や汗ものです。当時の言葉で、「バンカラな」、品のない表現が多い、荒削りな作文です。審査員の評価は大きく分かれたのも頷けます。

After reading this again, it sure is a close shave! There are lots of bad-mannered expressions: vulgar and unrefined, etc. Now I understand why some judges’ score was very high and some was very bad.

 

 

親切にして下さったレスリーグローブ宣教師さんに、「作文の中の非礼」を詫びたいです。

Now, I wish I could apologise Mr. L. Grove who was a missionary and treated us kindly for “my impoliteness in this essay”.

 

 

読者諸氏は、当時の新井中における中学生の心理や、社会背景の空気を感じることができるかもしれません。

I hope you might get the air of us, students’ mind-situation in those days and social one.

 

 

舞台になっている「野尻湖外国人別荘村」は、今でも毎夏中心に賑わっています。LLシホヤ新井教室から車で、40分で行くことができます。今でも、成人の日本人は簡単には入れないと思います。

The main site of this essay was “Foreigners’’ Village in Nojiri-Lake”, which has still been crowded with the owners of their villas every summer. It takes only 40 minutes by car from LL Shihoya Arai School to get there. I’m sure most Japanese can’t easily enter this village.

 

 

読みやすいように脚色して「フィクション化」致しますが、これをお読み下さる小学生、中学生のみなさん、そしてその親御様、「英語学習」は、決して机上だけにあるのではないことを感じ取って頂ければ幸いに存じます。

Yoshy will dramatize my original essay in order to have you easily read it, however, hoping you that those who will read this, especially those who are elementary, junior high school students to remember that “Studying English” never exists only on your desk, but…!

 

 

なお、「ヨッシーの英語教育哲学を含んだプロフィール」は、友人のライト教授とのインタビュー:「ひらがなタイムス」に分かりやすく書かれています。:You can read “Yoshy’s profile with my philosophy about teaching the language of English” written by Prof. T. J. Wright at HiraganaTimes by clicking:HERE:ここをクリックなさってください。

初めての英会話 # 01-10 / 30

Issue # 01中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

昭和39年当時の英語好きの中学生にとっては、学校で、英語で話すchanceは皆無でしたから、「僕の発音で、外人さんに、果たして通じるんだろうか?」と心配でなりませんでした。鞄のbagを、虫のbugと発音しても注意されない時代でしたから。…

 

「中学最後のsummer holidayだ。そうだ、野尻湖の外国人別荘村へ行けば英語を使えるかなあ!」と思い立って、classmates数人に誘いをかけました。日本人が一人もいない外国へ冒険することと同じですから、中学生にとっては、かなり勇気の要るアイデア:quite a brave ideaでした。

 

同行したclassmatesは意外にも、校則破りをするような、やんちゃで度胸のある2名だけでした。:My 2 partners were unexpectedly school-rule breakers or naughty boys! 英語学習には興味がなく、ただ冒険したいという二人でした。:They were never interested in learning English, but just lovers of Adventure! They were the top cats, school gang leaders. 両名は、外国人に挨拶した時、緊張のあまり直立不動の姿勢で、私が耳打ちした英語を大きな声で発音していました。The two stood ramrod-straight to see a foreigner, saying greetings aloud.

 

先ず新井駅から田口駅 (今の妙高高原station)まで蒸気機関車 a steam locomotive: SLに乗り込みました。冒険も目的ですから、客車には乗らないで郵便専用貨車に忍び込みました。:We sneaked into a mail-car. 当時はslow speed の所為か、客車も含めてドアを開けたまま走っていました。田口駅から野尻湖行きのバスでは、おとなしくしていました。

 

書き始めると、鮮やかに記憶が蘇ります。一クラスが50~55名、3年だけで12クラス+

特別クラス (大成学級)ありましたから、貧富、学力の格差、苛めの大きさなど、今とは比べ物になりません。でも、どこかに、仁義のような節度があって、誰もが将来に大きな希望をもっていた気がします。陰湿さを嫌う風潮があったのは、これから書きすすめてゆく話しからもお分かり下さることでしょう。

 

<写真は公開画像より。>

Issue # 02中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

昭和39年当時の「学校英語」の背景を少し書いておきます。この辺りには、ALTはおろか、外国人にお目にかかることは皆無に近かったのです。There were very few foreigners around here in those days. 当時の新井中学校は、現在の新井小学校にありました。東京オリンピックの年で、それを記念した国旗掲揚塔:the stationary flagstaffs as a memorial to Tokyo Olympics の近くに、新井聖書教会がありました。

 

私たち3人は、野尻湖の外国人別荘村で、その教会の宣教師、Missionary, Mr. Leslie Groveさんに会うことになりますが、それまでは、道でお会いしていたとしても、なぜか逃げ回って、「わー、ガイジンが歩いてる!」などと、遠巻きに眺めているだけでした。「ガイジン」などと、失礼千万な私達でした。We were really rude to foreigners; I’m ashamed now.

 

英語が使えるようになれば、恐くて不思議な外国人と話が出来る!道を歩いていて、外国人から、”Hi, Endo!”などと声をかけられたら、どんなにか嬉しいだろう!…などと英語の授業の時は、夢ばかり見ていました。 “How are you?”, “May I ask your name?”, “Where are you from?”…のような簡単な質問が、英米人に本当に通じるのかどうか…期待と不安で夜も眠れないほどでした。私には良い意味で an inferiority Complex about Foreigners (外国人への劣等感)を持っていたのです。

 

小学4年、ローマ字を習い始めた時、「先生、このローマ字はどう発音するのですか?」と、真剣に質問したことを覚えています。

 

さて、一緒に野尻湖の外国人村へ行ってくれそうな級友を探さなければなりません。一人で行って帰ってきても、「遠藤がガイジンと話してきたと言うが、怪しいもんだ」:It’s doubtful / if Endo could speak with Foreigners or not. と、一笑に付されるのが落ち:They would laugh off my words. でしょうから。どうやって旅の道連れ:fellow travelers を探したかは、次回のお楽しみ。To be continued. Bye for now.

 

<写真は1964年10月の東京オリンピック開会式。白黒テレビすらリッチな家庭にしかありませんでした。公開画像より>

Issue # 03中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

野尻湖冒険への旅の道連れ:fellow travelers を見つける為に、新井中学校、校内新聞「萌芽」:monthly newsletter, “Hoga”に投書しました。編集部長だった私は、部員と一緒に毎月作るこの校内新聞「萌芽」の取材にいつもアンテナを張っていましたから、記事にするのは簡単なことでした。「夏休みにwonderfulな思い出を作ろう!英語堪能なる諸君、野尻湖外人村を探検すべし!」: “Let’s make a wonderful memory in our summer holidays. Those who are good at English should explore the foreign Village beside Lake Nojiri!” 「希望者は終業式後、体育館に残るべし。編集部長、遠藤由明」: “The applicants should remain in the gym after the closing ceremony. Chief Editor, Endo Yoshiaki”

 

若月 昇先生が編集部の担当でした。新井印刷所からの「ゲラ刷り」:galley をチェックするのが若月先生のお仕事でした。こんな過激な記事:such a radical article を許可なさるとは思えませんでしたので、チェックの後で、私の一存で、勝手に挿入しました。問題は、新井印刷所の曽武川一男さんでした。見逃すわけがありません。当時は、活字を一個一個、ピンセットで並べていたのですから。並べるのが早ければ、目を通すのも早いのが、曽武川さんでした。ゲラ刷りを渡した途端に、「おい、遠藤君、学校の許可を得たのかい?…ここはイラストが入っていた場所だぞ。ふーん、あんたの名前か。いいのか?」…私は急に恐くなって、「やっぱりダメですよね。元のイラストにします。」…すると、「いや、俺の仕事はお客が何を書いても忠実に活字にすることだ。」:と言い捨てて、奥へ引っ込んでしまいました。ご自分に言い聞かせておられるような短刀(どす)の利いた低い声でした。 In a deep and threatening voice…ニヤニヤ笑っておられたのが印象的でした。

 

結局、校内新聞「萌芽8月号」は、終業式直前に全校に配布されてしまいました。私は校長室に呼ばれることになります。

 

<写真は公開画像より>

Issue # 04中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

1学期終業式での、西片啓作校長先生のお話はいつもと変わらず長いお話でした。Principal, Mr. Nishikata’s speech was always very long. 10月10日にTokyo Olympicsが開かれることについてのお話が中心でした。生徒会が中心になって始めた、オリンピック記念国旗掲揚塔建設の為の募金活動:「一日一円募金」: “The fund-raising campaign ‘One yen A Day’ for building the stationary flagstaffs as a memorial to Tokyo Olympics” が順調で、開会までには、オリンピック記念庭園:The Olympic Gardenも整備されるとのお話でした。西片校長先生の長いお話に必ず出てくるのが、「不撓不屈の精神」:Indomitable Spirit でした。今でも、新井中学校の生徒用玄関の上に「不撓不屈」と書いてあります。

 

私達、編集部が作った、校内新聞「萌芽8月号」は、オリンピック特集号で、この日の朝、全校配布されていました。勿論、私がこっそり投書した「野尻湖外人村探検募集」記事も掲載されていました。その校内新聞を翳(かざ)しながらの「不撓不屈精神高揚」の1時間近い大演説でした。「野尻湖外人村を探検すべし!」の字句に触れないでクレー!…と、目をつぶって聴いていました。私達は体育館で膝を抱えて聞いていれば良かったのですが、先生方は可哀想でした。全校生徒515名の周りを囲むように、直立不動でした。

 

「おわぁーり!」の一声で、大演説と共に終業式が終わり、ほっとして、ワグナー作曲「双頭の鷲の旗の下に」: “Under the Double Eagle”のマーチにのって、教室に帰る、その時でした。編集部担当の若月先生が恐い顔で、行進している私の耳に口を近づけて、「遠藤、このまま歩いて、廊下へ出たら、僕と校長室だ。」…「わー、やっぱり。ゲラ刷りを改竄(かいざん): To alter the galley で、恐い校長先生にまで叱られる!」と、青ざめながら若月先生の後について校長室に入りました。I turned pale and followed Mr. Wakatsuki toward the principal’s room.

 

<写真は当時の西片啓作校長:それまでの生徒会誌にはもっと若い写真が使われていましたので、撮り直しました:校長先生は嫌がっていましたが。>

Issue # 05中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

「遠藤、このまま歩いて、廊下へ出たら、僕と校長室だ。」…「わー、やっぱり。ゲラ刷りを改竄(かいざん): To alter the galley で、恐い校長先生にまで叱られる!」と、青ざめながら若月先生の後について校長室に入りました。「夏休みにwonderfulな思い出を作ろう!英語堪能なる諸君、野尻湖外国人村を探検すべし!」と書いてしまった。ハラハラしながら、大きな椅子に腰掛けておられた巨漢の西片校長先生の前に立ちました。

 

「キミが編集部長の遠藤君か、細いな、太らにゃいかんな。…野尻湖の外国人村へ行って、何をするのかね?What do you do in the foreigners’ Village of Lake Nojiri?」…失礼ながら、たどたどしい英語での質問でした。叱る気配がありません。後ろの若月先生を見たら、ニコニコ笑っておられました。「はい、英語が通じるか試してきます。」…「英語で返事をしなさい。」… “I, I will try to speak English in the village.” … “Do your best, 遠藤君。キミと同行する冒険家が運動場に残っているかも知れん。行きなさい。”…自分でもびっくりするような大きな声で、 “Yes, sir!” と言って、一礼し、廊下に出ました。若月先生は、走り出そうとする私のお尻をピッシャと叩きながら言いました。「帰りに教務室へ来い!」…笑っておられました。

 

運動場へ走っていってみると、そこにいたのは、同級の内山敏夫と宮田信夫の二人でした。内山君は2年生の時スキー・ジャンプで、新井頸南大会で優勝したと言えば聞こえはいいのですが、所謂(いわゆる)「一番番長」:the top gang leaderで、宮田君は、空手が得意な、内山君の部下、所謂「二番番長」:the #2 gang leaderです。他には誰もいません。「何をしてるの?」…「待ってたんだ。」と、内山君。彼は全校一の長身で体格が良く、かつて西片校長先生に、「体重が重い方がジャンプには有利だ。」と、朝会の場で誉められたほどでした。宮田君は背が低く相撲力士のように太っています。いつもは目立たないのですが、いざ喧嘩となると、机でも椅子でも投げつけるので、だれも親しくなろうとしません。二人とも、英語のテストになると、私からのカンニングペーパー:これ、和製英語です。…a cheat sheet を待っているので、私には決して乱暴はしません。私に一目置いているのです。I knew they acknowledged my superiority.

 

「あれ?二人の番長、もしかして、僕と野尻湖ガイジン村へ行くつもり?」

 

<イラストは公開画像より>

Issue # 06中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

夏休み直前の終業式が終わって、西片校長に勇気付けられ体育館へ戻ってみました。がらーんとして、私の上履きの音だけが響きました。それらしき応募者はいません。番長が二人:内山敏夫君と宮田信夫君がステージ演壇前に腰掛けて足をぶらぶらさせていました。

 

「おーい、遠藤!」と巨漢の内山君の声が体育館に響き渡りました。私は走り寄りながら、「あれ、内山と宮田!もしかして、野尻湖?」-「俺たちで悪かったな。くそ真面目そうなのが3人来たが、すぐいなくなった。」-「そりゃぁ二人がいれば恐くて逃げるよ~」-「まぁ、いいじゃねーか。連れてけ!ガイジンを近くで見てみてえ」-「俺もついガイジンと行っちゃうけど、外国人と言えよ。喧嘩しに行くんじゃないぞ。内山の知ってる英語はThis is a pen.だけだろ。…」すると、宮田君が「おれも外人の顔、見てみてえ。英語は遠藤が言えばええ。アメちゃんとの喧嘩は任しとけ。」と、空手のポーズ。…「戦(いくさ)に行くんじゃないってば。

 

「内山、追い返した3人って誰?」-「追い返しやしねえ。眼(がん)をつけたら消えた。横山と浅岡と山崎だ。優等生づらは好かん!」-「英会話クラブ部員を追い返したのか?…やれやれ、つまり、二人は僕の用心棒って訳だ。」-「いつ行くんだ?」と宮田君。「すぐには行けないよ。英語を話すのが目的なんだから、英会話の勉強しなくっちゃね。勉強する気あるの?生徒会室にテープレコーダーがあるから、夏休み後半までNHK松本亨先生のラジオ英会話の勉強しよう!夏休みは宿直の先生がおられるだけだ。明日から土日以外、8時に生徒会室に集合だ。決行は8月23日が日曜日、その日でどうだい?僕も勉強相手が欲しいから。アメリカの女子中学生がいるかもね。英語が通じたら楽しいぞ。 “Are you a girl?”では話にならんじゃないか!」…二人の目が急に輝いて、納得しました。

 

私はその時、英語の授業を思い出しました。先生が “Is this a desk?”- “Yes, it is. It is a desk.”…「先生、見れば机だってこと分かるじゃないですか?」クラス中、大笑い!内藤先生は、いや~な顔をしていました。

 

「若月先生から野尻湖のことで何かありそうだから、ここで待っててくれ」…私は二人と別れて、編集部担当・国語の若月先生が待つ教務室へ。

 

<写真:「松本亨先生」(NHK英会話講座を長年ご担当)は公開画像より>

Issue # 07中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

決行は8月23日の日曜日、それまで毎日8時から9時まで、二人の番長:内山君と宮田君相手に、生徒会室で英会話の勉強会ということになった。…ところまでお話しました。

 

 

「若月先生は僕に何の用だろう?」…教室3つ分の大きな教務室に入ると、おられたのは若月先生だけ。窓の外に目をやると、建設途中のオリンピック庭園の一角で先生方が美味しそうなご馳走を前にして終業式後のパーティが始まっていました。「先生~、あれ、いいなあ、ジュースもある!山川教頭先生、笑いながらビール飲んでる!恐い山川先生も…へーぇ、笑うんだ!あっ、若月先生はパーティーに行かなくて良いんですか?」-「お前には関係ない!黙って座れ。いや待て、山川教頭と何かあったのか?」-「Secret!」-「言うんだ!」

 

「そんなことより、野尻湖外国人村へ内山君と宮田君が一緒に行くことになりました。」-「なに~?あの二人が…」と、暫し絶句。「いえ、二人とも度胸がいいんです。宮田君なんか、この冬に家から、お父さんが戦争から持ち帰ったパラシュートを学校へ持ってきましてね。僕と両端を握って新校舎屋上から飛び降りることになったんです。3mの積雪があったし、万一フワリといかなくても大丈夫でしたから」-「飛び降りたのか?」-「いえ、パラシュートって重いんですよね。宮田君と昼休みに、二階の踊り場までズルズル引き摺って来たらですねぇ、山川教頭に見つかって、拳骨もらって5時間目まで立たされました。それから先週の土曜日、中間テストの成績よくて、久しぶりに僕の名前が張り出されたでしょ。一人でお祝いしようと思って、屋上の給水塔の上で弁当を食べてたんです。天気がよくて佐渡ガ島まで見えました。突然、下界から、『そこにいるのはだれだぁぁぁ~』とマッチ箱みたいに小さな教務室から山川教頭の大声が…。担任の宮腰先生には内緒にして下さいね。」

 

「ふぅ…しかしまあよくしゃべるなぁ、遠藤は。…少し黙れ!内緒にするから、よく聞いてくれ。野尻湖冒険から帰ったら、作文を書いてもらいたい。『読売つづり方コンクール』に応募する。」-「する!って言われても、まだ行ってないんですよ。英語も通じるか分からないですし。しかも、今、内山君と宮田君と話している内に、こちらの都合ばかりで、外国人の誰に話し掛ければ良いのか…企画が全くないことが不安になってきてるんです。新聞づくりで大切なことは、企画、取材、編集ですから。」-「その3点は俺が教えたんだぞ。その企画のことで呼んだんだ。校長先生からよいアイデアを頂いた。だから帰ったら作文を書いてくれるな?」

 

<写真:パラシュートは公開画像より>

1986.09.17th LL講師研修
1986.09.17th LL講師研修

Issue # 08中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

「その企画、計画のことで呼んだんだ。西片校長先生からよいアイデアを頂いた。」…私は思わず若月先生に身を乗り出しました。お話によると、校長先生と英語部の先生の有志が放課後、定期的に宣教師:MissionaryのLeslie Grove氏をお招きして、英会話の勉強会をしておられること、そしてGrove氏は野尻湖に別荘を持っておられるかも知れないから、彼を訪ねに行ったらどうかという提案でした。但し、Grove氏紹介のことと、別荘訪問の許可に付いては、学校は一切関知せず、私達がMr. Groveに直接会って交渉することになったのです。

 

私は急に目の前の霧が晴れた気分になりました。「先生、有難うございます。それで、どこへ行けばGroveさんと会えますか?」…若月先生はグランドの国旗掲揚塔を指差して、「さあなぁ、宣教師なんだから教会におられるんじゃないのか?」-「あぁ、屋根に十字架があるキリスト教の家ですね。お陰様で野尻湖外国人村へ行くきっかけが出来そうです。でも~…」-「なんだ?おれもこれからパーティだから早く言え」-「いえ、いいんです。がんばります。」-「よーし、コンクールに応募する作文はここからだ。今日は早く下校しろ!」

 

内山君と宮田君が待つ体育館へゆっくり歩きながら、湧き上がってきた二つの疑問を考えていました。「Groveさんと交渉すると言うことは、英語を話すことになる…わざわざ野尻湖まで行く必要がないじゃないか?」…そしてもう一つの疑問は、「そうか、内藤先生、阿部先生、野田先生方、英語部の先生方が自主的に英会話の勉強会を…校長先生まで…うーん、尊敬しちゃうなぁ!…待てよ、それって僕と同じ発想じゃないの?英会話クラブの部長は僕だ。英会話クラブでは、朝日ウイークリーを輪読したり、ソノシート(ビニール製のレコード)で、旺文社の「百万人の英会話」を聴いたりしているだけだ。なぜ、先生方の勉強会に僕たちを呼ばないのだろうか?そうしてくれれば、そうだよ、わざわざ野尻湖へ行く必要がないぞ」…

 

<写真:1986.9月17日、LL目白本部での講師研修で撮影。J. B. Harris 先生は、「百万人の英語」の著者。>

Issue # 09中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

7月25日土曜日、終業式の帰り道、二人の番長<two top cats> 内山君と宮田君に仔細を話し、「おい、英会話の勉強どころじゃないよ。Mr. Groveが、8月23日の日曜日に野尻湖におられるのかどうか確認する方が先だ。この足でとにかく教会へ行ってみよう!Let’s visit the church right away, shall we?」…静かな内山君とカッカしやすい宮田君だが、番長だけあって腹が座るのはとても早い。「へぇー、もうアメちゃんと会えるのか?」と宮田君。「いや、おられるかどうかわからん。兎に角情報収集しよう: Let’s collect information there!」私達3人はドキドキしながら下駄を鳴らして、現在の新井小学校国旗掲揚塔の北側にある教会に着きました。学校の隣というのに、鬱蒼とした茂みの中の教会がとても遠く感じました。…どうもノックできません。宮田君は遠くから眺めています。内山君は「俺がやる」と、ドンドンとドアを拳(こぶし)で叩きました。と、途端に私の後ろへ。私の頭の中は真っ白。<My mind went blank! > Hello, How do you do?だけが頭の中で駆け巡っていました。

 

ギーっとドアが開いて現れたのは、なんと日本人女性。こちらが何も言わないのに、「さーさ、よくいらっしゃいました。ドーゾ」と言うので、内山君は、「オイ、教会の信者と間違えているんじゃないかな」…「どうにかなるさ」宮田君を手招きで呼んで3人で礼拝堂へ入りました。とても明るい。まだ新築したばかりのようだ。奥には教壇、黒板、オルガンが。他に誰かがいる気配がないので、どうやら礼拝に来たとは思っていない様子だ。

 

「ご用件は何でしょう?」小柄で品の良い、その中年女性はニコニコしながら尋ねてくれました。…「そうですか。Groveさんは、7月と8月は、ご家族と一緒に野尻湖でお過ごしです。私は参ったことがございませんので、別荘の詳しい場所は存じません。英語を使って探してみては如何ですか?ご予定の8月23日は日曜日ですね。Morning serviceがありますから、平日のほうがよろしいかと思いますよ。Your name, please.」-「I am Yoshiaki Endo.です。」…内山と宮田の肘(ひじ)を突付いたが声が出ない。「His name is Toshio Uchiyama and his name is Nobuo Miyata. Thank you for your kindness.」-「まあ、綺麗な発音ですこと。今のように目をしっかり見て、きちんと話せば大概通じますよ。英会話を楽しんできてください。」

 

知的で誉め上手な女性だった。3人で、壁に張ってあるカレンダーを見ながら、夏休み招集日翌日の8月21日、金曜日に訪問することを決めた。「では、その日に皆様がお出かけのことを、私からMr. Groveに手紙で伝えておきます」-Thank you very much!…お辞儀をして帰ろうとすると、キリスト教の伝道パンフレットを3人夫々に5部ずつ下さった。彼女のお陰で、Groveさんに会うことが野尻湖へ行く目的になった。仲介役をして下さった親切な彼女の名前の記録がないのが残念です。

 

翌日から約1ヶ月間、毎日8時から9時まで、二人の番長<two top cats>:内山君と宮田君相手に、生徒会室で英会話の勉強会です。初日の7月26日、日曜日、NHK「英語会話」のテキスト7月号と、録音した1週間分のオープンリール 2巻を持って、早朝7時半頃、先ずは宿直室へ用件を述べる為に入りました。

 

<写真:1982.8月に撮影した、当時の新井聖書教会の内部。アラバマから聖書学習のため留学していたT君とヨッシー。新井高校生徒も私達の英会話学習に参加することが多かった。>

Issue # 10中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

招集日前日までの約1ヶ月間、毎朝8時から1時間、生徒会室で、内山敏夫君、宮田信夫君相手に英会話の勉強会を続けるつもりでした。が、…

 

7月26日、日曜日は、生徒会室で英会話の勉強会が初日。私は勇んで30分前の7時半に宿直室<night watchman’s room >へ挨拶に行きました。覗くと、水泳部顧問の清水登志夫先生が新聞片手に朝食中でした。私は心の中で、『参ったなぁ。まずいなぁ』とたじろぎました。私が編集部長に内定した半年前、去る2月の放課後、新部員と新聞作りの勉強会をしていて、寒さの余り、使い尽くしたストーブの石炭を補充しようと、こっそり石炭小屋へ忍び込みました。勿論見つかったら只ではすみません。嫌がる金子君と二人で小さな手のひらに一杯の石炭を持って出ようとした途端、その清水先生に見つかってしまったのです。清水先生はお顔が石炭のように黒く、小柄なのにエネルギッシュなところから、「蒸気機関車」のnicknameついていました。そのMr. SLから、無言で痛い拳骨を2回ずつ頂戴した苦い体験があったのです。

 

顔を合わせないようにして、「生徒会の遠藤です。編集部の仕事で9時まで生徒会室を使います。」と大声で伝えました。幸いに私を覚えておられなかったことと、ご自分の朝食メニューを見られたくなかったのでしょうか、すぐさま、「よし。行け」で難なく生徒会室使用の許可 <permission of the use of student council room >がおりました。

 

しかし、8時になっても内山君と宮田君は現れません。Yet two top cats were not there after 8:00.

 

<写真:当時の石炭ストーブと石炭バケツ。公開画像より。>