初めての英会話 # 21 - 30 / 30

Issue # 21中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

白樺white birchで作った表札: name plateを良く見ると、「二百二十ニ」:two, two, twoの数字の下に L. Groveと書いてあります。私は大きな声で家の中に向かって “Hello, Mr. Grove! Hello, hello!”と言いながらドアをノックしました。人の気配がありません。ドアのknobを回すと鍵がかかっていません。窓も開けっ放しでwhite curtainが湖からのそよ風に揺れています。聞こえるのは油蝉の大合唱だけ。…「内山、宮田、留守みたいだな」と言いながら振り向くと、二人は遠く坂道のところから私を不安そうに見ています。「Uchiyama, Miyata, come up here. There isn’t anybody.」と両手でバツの字を作ると、ほっとした様子で、「いや、下から来るんじゃないかと思ってな。」と内山君。

 

前庭には、ペンキで白く塗られた丸いtableの回りに、丸太: logの椅子が5つありました。二人に「おい、腰掛けて待っていようぜ。五人家族かな?」と呟くと、内山君は「慌てても仕方ねえ。宮田、張り番してろ!」-「おす!」と、番長同士の会話になりました。腕時計を見るともうすぐ正午です。どうやら西洋式ランチはここでは食べられそうにありません。まもなく、下から宮田君が泣きそうな顔で駆け上がってきました。その後ろから品の良さそうなガイジンさんが追いかけてこちらへ来ました。Red T-shirtにshort pantsのいでたちです。

 

「アナタタチノコトハ、ミスターウオーカーカラキイテイマス。Welcome!」…内山君は僕と並んで直立不動。宮田君は僕の後ろでした。僕は嬉しくなって、 “I am Yoshiaki Endo. Are you Mr. Grove?” – “アア、エンドウサ~ン、タクサン、マチマシタカ?” – “Yes, we are not waiting for you. No, no, we are not waiting so long. Thank you.” とおかしな英語で返事をしました。二人の番長を指差して、 “They are my friends.” 「おい、自己紹介しろよ。I amだ」 “I am Toshio Uchiyama.” 180 cm の内山番長は背筋をまっすぐ伸ばしたまま大声で言いました。「ウチヤーマサン、ヨクキマシタネ」と握手しながら、今度は宮田君を見ました。宮田番長は観念したのか、すっと前に出て、 “I am Nobuo Miyata.”と照れくさそうに小さな声で名前を言いました。

 

「ミヨータサンも、ヨクキマシタネエ。」…『ミヨタじゃなくて、ミヤタなんだけどなあ、それにMr. Walkerって誰だろう?』と頭の中で英文を考え始めましたが、英語が口から出る前に、「シタデ、スイエイタイカイ、シテイマース。イッショニ、ミマショウ。」…僕は、咄嗟に “Let’s go.” と言ってしまいましたので、落ち着く間もなく、Groveさんを先頭に4人でどんどん細い道を駆け下りて行きました。走りながら…Groveさんは日本語、僕達は英語を使っていたことに、気が付きました。

 

<写真:My name is …:公開画像より。>

Issue # 22中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

既に12:30です。西洋式のランチはどこでご馳走してもらえるのか、もらえないのか、ともかくGroveさんの後をついて行くしかありませんでした。そこは中学校のグランドほどもある大きな広場でした。50人以上の外国人の大人と子供たちが木陰のベンチで話したり、広場を歩いていたりしていました。奥まったところに木造2階建ての集会所らしき建物が見え、その周りにも沢山の人が動いていました。日本人は誰もいません。夢でしか見たことがない外国そのものでした。Groveさんに連れられてきた私達3人は、湖畔の一角に太い縄で区切った3 coursesの水泳大会会場へ着きました。

 

「エンドウサン、フタリノムスコト、オクサンヲ、ヨビマース。」 “Your sons and wife?” – “Yes.”と言って、走り去っていってしまいました。相変わらず僕が英語で、Groveさんが日本語です。すぐに来るのだろうと、心細く待っていました。その数分がとても長く感じられました。コースの出発点だか終着点だか分からない、木でこしらえた桟橋:pierを行ったり来たりして待ちました。

 

「エンドウサーン、マイファミリーデース。」…なんと、いつの間にか僕達が立っている桟橋のすぐ近くにGroveさんの家族4人がいるではありませんか。Groveさんも水着姿で手を振っていました。 “Mrs. Grove, how do you do?”と、大声で挨拶しました。奥さんもニコニコして、 “Hi!”と手を振ってくれました。Groveさんは水の中から、奥さんの名前、二人の息子さんの名前を紹介してくれたのですが、speakerから流れる雑音のような音楽と、水しぶきの音と周りののざわめきで、聞き取れたのは、二人の息子さんが10歳と7歳だと言うことだけでした。「1ジカラ、ムスコタチノ、タイカイデース。ミテイッテクダサーイ。」とニコニコしながら言うが早いか、コースの向こうへゆっくり泳いでいってしまいました。7歳の弟は浮き袋の中から僕達を不思議そうな顔で何回も振り返りながら、とうとうコースの向こうの、大勢の人ごみに混じってしまいました。

 

宮田君は、「遠藤、腹が減ったぜ。ランチはどうなるんだ~?」と心細く尋ねます。「僕だって分からないよ。

 

<写真:野尻湖湖畔の遊泳:公開画像より。>

Issue # 23中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

Groveさんfamilyと一緒に食べるつもりのlunchがどうなるのか心配でなりません。水泳大会開始の1:00まで15分しかありません。二人の番長に向かって、「We are hungry. I have a good idea. 宮田が土産に持ってきたお菓子を子供たちに渡して、いつ昼食を食べるのか聞いてみるよ。スタート地点はすぐそこだ。走ろうぜ。」

 

20m位しかないコースの途中でGrove Familyを見つけました。 “Please wait, Mr. Grove!” 周りの人たちの視線が一斉に僕達に降りかかるのを感じました。恐くもあり、誇らしくもありました。一家は岸辺の岩に近づいて、Groveさんは立ち上がりながら、「エンドーサン、ドウシマシタカ?」 “This is a present for your children from Miyata.” と言いながら、風呂敷を解き、新聞紙で包まれたマーブルチョコやビスケットなどを手渡しました。遠慮する様子は全くなく、益々ニコニコして、「ミヤタサーン、アリガトー!」と、初対面の時に聞き間違えたMiyotaがMiyataに直って、彼に握手を求めています。「宮田、握手して来いよ。You’re welcome! だぞ。」…「覚えられねーよー」…Groveさんが “Thank you, Miyata san!”と言うと、宮田君も “Thank you!”と照れくさそうに言いながら、手を上下に振って、長い握手をしました。

 

『そうだ、写真を撮ろう』と思いつきました。 “May I take a picture?”と聞くと、“Sure!”と言うなり、家族はポーズをとってくれました。Groveさんだけが岸辺に立ち、奥さんと二人の息子さんは、ニコニコ顔で首だけ出していました。シャッターを押しながら、僕達と昼食を、いつ、どこで食べるつもりなのかを英語でどうやって聞いたらいいのか、一生懸命考えていました。が、『僕達と一緒に』の英語が出て来ません!… “When will you eat lunch?” :「いつ、昼食を食べるのですか? 」とだけ言ってしまったので、「ランチハ、オワリマシタ。モウ、スタートジカンデース。バーイ!」…つられて、僕も “Good bye!”と言ってしまいました。西洋式ランチをご馳走してもらう淡い期待は、この瞬間、消えてしまったのでした。

 

<画像:farewell:公開画像より。>

Issue # 24中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

僕達は元いたゴール地点の桟橋:pierまで力なく、戻り始めました。内山君は、「遠藤、お前、日本語で喋った方がいかったんでないのか?腹は減るし、喉がカラカラだ。どうにかしろよ」…彼の言う通りだった。Groveさんは日本語を話していたのに、顔がアメリカ人で、英語しか通じないという先入観に囚われていたことに改めて気付きました。もう、後の祭りです。

 

宮田君はニコニコ顔です。「宮田、何が嬉しいんだ?」と聞くと、「俺の英語が通じた」と、うっとりしていました。そういえば、彼がお菓子を渡した時、握手しながら確かに、彼は “Thank you.”と言っていました。一言でも通じる喜びは僕には良く分かります。僕は、Groveさん一家の写真を撮れた事がとても嬉しかったです。ただ、僕達も一緒に写っていたら、クラスメートに自慢できるのにと、残念でしたが。日本語を使えば、近くのガイジンさんからシャッターを押してもらうこともできたのに…いや、日本語を使ったらここへ来た意味がない。まあ、あれで精一杯だったなと、自分を慰めていました。「良かったな、宮田。二人とも、水泳大会なんて見たくないだろ?腹ごしらえしようぜ。先ずは水を飲んでから考えよう」

 

『さて、水のみ場はどこにあるんだろう?』学校のグランドほども大きい広場をうろうろしましたが、見つかりません。『水のみ場って、英語で…drinking placeだろうか?』鞄の中に和英辞典があることを最後まで忘れていたのでした。

 

『親切そうな人に会ったら、水のみ場を聞いていてみよう』と、行き交うガイジンさんの顔を見ていると、突然後ろから、内山君の肩を叩いたガイジンさんに出会いました。 “Hey, boys, where are you going?” びっくり振り向くと、髭の中に真っ赤な顔が埋まっていて、巨漢の内山君が小さく見えるほど大きなガイジンさんでした。ニコニコ笑っていました。 “Excuse me, but where is drinking place?” すると、急に怒った顔になって、聞き取れないくらい早口の英語が降り注ぎました。 “Bad boys. Don’t drink.”が聞き取れました。…『あ、そうか、drinkは酒を飲む、の意味だった。いかつい2人の番長を見れば非行少年グループに見えるんだろうな。えーと、喉が渇いたって、なんだったっけ?勉強しておいたのに…』咄嗟に口を大きく開けて、喉が渇いたジェスチャーをしました。髭もじゃのガイジンさんは、 “Are you thirsty?”と聞いてくれました。思い出しました。 “Yes. We are thirsty, very thirsty. And very angry. Ah! No. Hungry! Hungry!” (すごく喉が渇いています。怒っています。いえ、間違ーい!はらぺこでーす)…すると、地響きのような大きな声で笑って、 “Follow me, boys!” (ついて来なさい) と手招きしてくれました。

 

<イラスト:an angry man:公開画像より。>

Issue # 25中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

“Follow me, boys!” (ついて来なさい!) と、揉み上げ:sideburnsから口髭:mustacheまで黄色いもじゃもじゃ大男: mop of haired giant manが笑って手招きしています。早口でたくさんの英語を言っていたけれどさっぱり分かりませんでした。記録ノートにはありませんが、多分、 “Come on!”, “Don’t worry!”は言っていたのでしょう。

 

周りが外国人だらけの中央広場の真ん中で、もし走って逃げたら余計、状況が悪化することは僕たち3人には良く分かっていました。兎に角、堂々と付いてゆくしかなかったのです。僕は、「おい、宮田、お前が先頭だ。」-「なんで?」-「空手の達人だろ、木刀は杖じゃないだろう」、内山も「そうだ、そうだ」と言ってくれたが、どうも子犬が3匹じゃれ回っているようでみっともない。 “We are coming, sir!”と言いながら、僕は後を追った。二人も走ってついてきた。

 

水泳大会とは反対側の湖畔の淵まで5分ほど歩いたろうか、そこには、平屋で、太い丸太を積み重ねて作った、山小屋を10倍くらい大きくして上品にしたような建物がありました。丸太は悉く白いペンキで塗られ、大きな窓枠は目のさめるような藍色:indigoでした。低い高床式: a little high floored houseで、入り口の階段をぎしぎし上がって招かれるままに入りました。そこは、食堂でした。 “Mr., is this a restaurant?” – “Yes, a cafeteria.” Cafeteriaという英語は初めてでした。メモした cafeteria はそれから数年間、restaurantの方言:slungだろうと思い込んでいました。「おい、西洋料理にありついたぞ!」と二人の肩を叩きました。しかし、どうやって注文すればよいのか、日本円は使えるのか、それを目の前の髭もじゃさんに英語でどう聞けば良いのか、不安がよぎりました。

 

<写真:野尻湖からの、夜の赤倉観光ホテル:公開画像より。>

Issue # 26中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

Cafeteria という名前のrestaurantに中は教室が4つ分くらいの広さでした。天窓から木漏れ日: sunlight filtering down through the treesが降り注ぎ、窓側に5,6人がけテーブルが10脚ほどありました。反対側は長いカウンターでその奥では、白いアンパンのような帽子を被った若い外国人男女が食器: tablewareを片付けていました。安心した宮田は、近くの木陰へ走っていって、握り締めていた木刀を隠して駆け戻ってきました。

 

髭もじゃおじさんは、ぼくたちにゆっくり言いました。 “It is almost closing. You can’t eat dish. But you can eat ぺらぺら”と言いながら、カウンターに飛び出ている、いくつかの駕籠を指差しながら、 “hamburger”, “sandwich”, “hot dog”…と、後は聞き取れなかったのですが、たくさん名前を言いました。喉が渇いていることも忘れて、値段が心配で… “How much?” と聞くと、笑いながら、何か言いました。多分 「奢るよ、きにするな」: “I will treat you. Don’t worry.” とでも言ったのでしょうが、意味がわからず、 “What? How much?”と繰り返しました。 彼はニコニコ無視して、自分でsandwichを皿にとり、なにやら言って、茶色い泡立つ飲み物も大きなお盆に置いて、中央の会計で1 $紙幣を払って、さっさとテーブルに座っていました。ジェスチャーで、僕たちにもそうするように指示しました。

 

hamburger, hot dog, sandwichは、遊覧船が発着する近くにある食堂のそれとは全く違っていました。どれも赤い電球で温められていてとても大きく分厚いのです。待たせてはいけないと思い、「おい、いくらか分からんから、一つだけとって、orange juiceと言って、それぞれ500円札を渡そうぜ。変な顔をしたら1,000札を出せば良いんだから」と、僕は髭もじゃさんと同じ sandwichをとって、 “Orange Juice, please.” 厨房の女性は大きなコップにたっぷり注いでくれました。さて、会計です!日本円は果たして通じるのか?振り向くと、内山も宮田も、僕と同じものを持って、僕の支払い方法を観察していました。

 

お金を渡そうとすると、cashierの若い外国人男性は、片手を横に振って、”Mr. Walker ペラペラ…take, this, please.”と言って、お金を受け取りません。髭もじゃおじさん: Mr. Mop-haired manの本名がWalkerさんで、サンドイッチをご馳走してくれていることがやっと理解できたのです。僕がcashierから、”Thank you, Mr. Walker!”と大声で言うと、”Come on!” と手招きしてくれました。それを見ていた宮田と内山は、大急ぎでハンバーガーも取ってきました。やっと遅い昼食の始まりです。

 

<画像:Cafeteria:公開画像より。>

Issue # 27中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

会計:Cashierで彼の名前がMr. Walkerだと分かりましたので、大きなsandwichをほおばりながら、…もっとも、宮田と内山は、只だと分かるや否や、hamburger も食べていましたが。… “I heard your name, Mr. Walker! Thank you very much! My name is Yoshiaki Endo. Call me Yoshy. This is Toshio Uchiyama and this is Nobuo Miyata. They are my friends.”というと、”Yoshy, welcome our village. I know you.” 『え、どうして僕たちを知っているのかな? 』と、びっくりして、”Why?”と、次の言葉が浮かばず、人差し指でWalkerさんを指差して、”You know me?”とわざとらしく語尾をあげてみました。彼の英語はその時は分からなかったけれど、多分、”You ran away at the entrance of this village when I cried.”:「外国人村の入り口で叫んだ時、逃げたじゃないか!」と言ったはずです。きょとんとしていると、立ち上がって、口に手を当てて、”Hey, you! Don’t enter!”といった途端、僕たちが逃げた格好をひょうきんに真似て見せたのでした。複雑な返事ができないので “Wow! You are! I am sorry!”と、2回繰り返して謝りました。でもニコニコしています。

 

第一、昼食をご馳走してくれています。内山も宮田も、Walkerさんが不法侵入した折の恐い門番だと分かって、食べるのをやめてシーンとしています。 “You are NOT angry. Why?”と聞くと、これも聞き取れませんでしたが、多分 “You are brave and bold.”:「勇気がある。」などと誉めてくれたのでしょう。両手を懸垂のような形にしてから、僕に握手を求めてきたのですから。「大目に見てくださって有難うございました。お腹がすいていたのでとても嬉しいです。Groveさんと食事ができると思い込んでいたものですから…」と言いたかったのですが、文が複雑すぎて、結局 “Thank you, sir!”を繰り返すだけでした。

 

Cafeteriaでの新発見は、2つありました。一つは、英語の力が貧しくても、顔の表情、身振りで予想以上に気持ちが伝わると言うこと、もう一つは、英米人にとっては、勇気があることが美徳:Courage is a virtue!ということでした。この二つの教訓は、私にとって、今でも大きな財産です。

 

<写真:外国人別荘村湖畔:公開画像より。>

Issue # 28中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

Cafeteriaで飲んだorange juiceの美味しかったこと!当時は、本物のジュースを飲みたければ、みかんの皮を剥いて、布巾で丸めて、力いっぱい押しつぶした雫を飲んでいました。給食にも出ていた「渡辺のジュースの素(もと)」は、今思えば、ジュースとは言えません。

 

宮田も内山も英語をしゃべる気は全くありませんでした。私の用心棒のつもりで来ただけでしたから。『何か話さないと間が持てない。さて、…』…「僕たちは、本当の外国人に英語が通じるかを確かめに来ました。」を伝えたくて、”I study English. I don’t speak English. I want to speak English. Can you speak English?”と訳のわからない質問をしてしまいました。

 

すると、今度は真剣な顔になって、 “Yes, I can speak English. You can speak English very well.”とゆっくり言ってくれました。続いて、「何ヶ国語を話せますか?」と聞くつもりが、 “How many words do you know?”: 「いくつの単語を知っていますか? 」と、又もへんてこな質問が口から出てきました。

 

熱心に相手をして下さったこと、いまでも感謝しています。今となっては Mr. Walkerの消息を確かめることはできません。Leslie Groveさんも含めて、出合った外国人の一人お一人との会話がその後の「私の英語活動の素(もと)」になっています。

 

<写真:渡辺ジュースの素:公開画像より。>

Issue # 29中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

ふと見ると、横のテーブルに分厚い新聞が置いてありました。勿論、英語だらけの本物の英字新聞でした。見ても分かるわけがないのですが、触ってみたくて…”Mr. Walker, will you see the newspaper?” <ウォーカーさん、新聞を見ますか?>…see <見る>ではなく、show <見せる>を使うべきだったのですが、勘の良い彼は、すぐさま “Sure. Take a look.” と言いながら、いろんな記事の説明をしてくれました。見ても聞いても、さっぱりわかりません。でも、英会話クラブの教材の「Asahi-Weekly」と違った迫力に圧倒されました。4コマ漫画も横並びでした。ラジオ・テレビ番組欄でも、時間表記しか分かりませんでした。『これだけのvocabularyを覚えるのには、何年かかるだろう?』と、溜息をつきながら、一面に戻ると、Johnson大統領と誰かが討論している写真が目に留まりました。

 

昭和39年夏のアメリカは、大統領選挙の真っ最中でした。討論相手の名前が分かれば、Walkerさんともう少し話ができると思って、名前らしき大文字の単語を探しました。ありました。Goldwater! “Mr. Walker, this man is President, Johnson, and is he Goldwater?” すると、”Yes, that’s right! You are great!” などと大袈裟に褒めてくれて、長々と大統領選挙:Presidential Election について熱っぽく話し始めました。だんだん早口になって行ったので何を話しているのか、サッパリ分からず、”Yes.”とか “Wow!”と適当に相槌を打つだけでした。が、お陰で御馳走してくれたhamburger, sandwich をゆっくり食べることができました。初めて飲んだコカコーラは、薬臭くてまずかったのですが、アメリカにいるような気分にさせてくれました。

 

Cafeteriaでの新発見は、沢山ありました。see<見る>と、show <見せる>では、方向が逆なのですが、実際の場面では、この場合、newspaper <新聞>と発音し、指をさしたので、新聞を見せてもらうことができました。Key WordsとGestureさえしっかり伝われば、日常会話は何とかなる、という自信がつきました。もう一つは、日ごろのニュースなどで話題をたくさん仕入れておいた方が、会話が膨らむ… この二つの教訓は、私にとって、今でも大きな財産です。

 

2時半を過ぎたので、 “Mr. Walker, we must go now.” <もう行きます>というと、立ちあがって、僕たち3人一人ずつに、 “Good luck. See you!” と握手してくれました。宮田も内山も、目を輝かせて、 “Thank you, sir.”とはっきり言いました。

 

家へ帰ってから、疲れも忘れて、この記念すべき8月21日の出来事を一気に書き上げました。原稿用紙が52枚になりました。

 

<写真:大統領選挙のポスター:公開画像より。>

Issue # 30中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School

 

2学期が始まり、「初めての英会話」と題した52枚の原稿用紙を、編集部顧問の若月昇先生に渡しました。新井中学・校内新聞、「萌芽」の編集会議を終えて下校しようとすると、若月先生が言いました。「お前の作文は、約束通り、『読売綴り方コンクール』に応募する。しかし、もっと短くしてくれ。原稿用紙20枚以内が条件になっているから。短い作文を長くするのは難しいが、その逆だから楽だぞ。今夜書き直して、明日の『朝学習』の前に教務室へ持ってきてくれ。」 - 「はい、20枚以内ですね。」と、安請け合いしましたが、その晩は徹夜になってしまいました。

 

野尻湖村門番のMr. Walkerとの出会い、外国の女の子達に愚連隊:little gangと誤解され大人たちに追いかけられたこと、cafeteria で初めて飲んだコーラのこと、そして、何よりも、外国人に通じた沢山の英会話など…編集部員として他人の文章を短くすることには慣れていましたが、自分のことになると実に骨が折れました。

 

翌日、若月先生にその20枚を渡すと、「よし、これからだ。」と言うなり、目にも止まらぬ早業で、赤鉛筆でどんどん下線を引かれました。「ここを直して、明日また俺に持ってこい」 - 「え、今日が締めきりじゃなかったんですか?」 - 「締切は9月末日だから、余裕を見て、あと20日ある。何度も書き直しをしてもらうぞ」- 「どう直せばいいんですか?」 - 「遠藤編集部長、自分で考えろ」…結局、なんと都合14回も書き直しました。アドヴァイスは、初回の赤鉛筆でのunderlineだけでした。

 

15回目で、「よし、これでいこう」とOKが出た時には、右手中指の鉛筆だこ:pencil callous fingerが腫れていました。No Adviceで、「書き直し!Write this again!」が続いたあの時は、にこにこ顔の若月先生が鬼に見えました。作文が好きな現在の私にとって、あの異常なほどの書き直しそのものが、「一つの指導法」だったのだと、感謝しています。習字も、英語も、水泳も、上達するためには、気の遠くなるほどの訓練が欠かせません。上達するコツ:the knack of improvement を見つけるのは自分自身であって、指導者は、生徒に火をつけて、見守るしかないという単純な正論を、身をもって教えて下さった初めての先生が若月先生でした。このご時世で、この指導法を、私のLL教室や、新井小学校英語授業で展開しても、受け入れてくれないでしょうね。

 

え、「その作文はどうなったか?」ですって?- はい、入賞:wining a prizeはしましたが、優秀賞:Excellent Prizeの下の「佳作:Fine Work」でした。全校生徒の前で、西片啓作校長から、賞状と副賞の万年筆を頂きました。あとで、若月先生に、「あのー、どうして優秀賞にならなかったんでしょうか?」と尋ねると、「分からんのか?Groveさんに礼を言いに教会へ行った時の行(くだり)だよ。教会からもらったパンフレットを破って川へ捨てた場面があったろ。あれを書かなかったら、最優秀賞だったろうな」と笑って答えました。 - 「だって、キリスト教に入信しろと言われているようで怖かったと、ちゃんと書きましたよ」 - 「いいんだ。あれで。遠藤はこれからも自分が思った通りに動け」と、僕の肩をぽんと叩いてくれました。

 

 

このNon-fiction essay「初めての英会話」は、1964: 昭和39の、生徒会誌に掲載されました、今では、母から買ってもらったトランジスタラジオ同様にボロボロですが、私の宝物です。

 

<写真:弁天島の鳥居>