私は学生時代、夏休みになると、太平洋に突出している犬吠埼へ出かけることが楽しみでした。左右どこまでも広がる乾いた砂浜を眼下に、鎮座していると、波の音も自分さえも消えてゆくような静寂を感じました。水平線に引き込まれそうな錯覚は、学生運動の怒声や監獄のような下宿生活を忘れさせてくれました。貨物船内に不法乗船して米国に渡って、戦後、通訳やプロレス中継などで活躍したミッキー安川氏や、国禁を犯してまで黒船の上で渡米を哀願した吉田松陰の気持ちを反芻していました。夕闇の帰路、客がほとんどいない銚子電鉄に揺られながら、大海原のエネルギーを下さった犬吠埼に『また来るぞ』と感謝していました。
卒業後1年のモラトリアムを貰って、立川市の外資系不動産会社で英語しか使えない仕事を楽しみました。家業を継いで1年目、旺文社LL英語教室経営の打診が舞い込み、水を得た魚のように二足の草鞋を履けて、犬吠埼の夢を実現できていること、今は亡き父母に感謝しています。偶々、LL本部の教師に、千葉市出身の山本照道先生がおられました。講師研修で上京の折は、貝塚町の彼の実家で「英語で日本を紹介できる人材を!」と、夜更けまで口角沫を飛ばしていたことを覚えています。
ひと昔前になります。私の青春色の濃い字句、「犬吠埼、九十九里浜、房総半島、銚子 …」を検索していると、偶然、詩人、山下佳恵(よしえ)先生がヒットしました。瑞々しい感性、平凡な描写でありながら、極小から極大空間へ誘う非凡な心象描写力に驚愕した深夜のひと時でした。その折の感動の一篇をご紹介…
「ハマヒルガオ」
“Sea Bells”
夏になると
九十九里の白い砂浜の上に
ハマヒルガオの花は咲く
小さなピンクの星々が
天の川のように連なって
強く吹く風から
寄せてくる波から
砂を守るようにして
その花は咲いている
When summer comes,
On a white beach of Kujukuri,
Sea-bells are flowering.
Little pink stars …
Lining up like Milky Way,
They seem to protect this MILKY BEACH
Against strong wind and
Against oncoming waves…
See-bells are flowering.
緑のハート形をした葉っぱは
小さなピンクの花を守るように
海と一定の距離を置き
道を標すように
その茎はのびている
Green heart-shaped leaves look like…
To protect their little pink flowers. And,
The stalks are stretching at regular intervals from the sea,
Which shows us a foot-pass.
根は地下に深く
砂を縫うように這い
小さなピンクの花と
ハートの葉をしっかりと支えて守るように
その根はのびていく
The roots are carefully growing deep in the earth. Or,
Crawling in the sand.
They are supporting such tiny pink flowers, and
Such HEART-shaped leaves
As their MISSION.
九十九里の強い風に負けないように
強く流れる波にのまれないように
ハマヒルガオの花は咲く
ハマヒルガオ
ハマヒルガオの
花言葉は
絆
So that they won’t be blown by the strong wind of Kujukuri,
So that they won’t be swallowed up by tidal waves,
Sea-bells are flowering.
Sea-bells!
Your flower language is …
Bounds of
Friendship.
「ハマヒルガオ」(了)
“Sea Bells” (End)
地方紙にも取り上げられている新進気鋭の詩人なのですから失礼がないようにと畏れつつ、逡巡した後、「先生の詩を英訳させて欲しい」とe-mailで送信しました。- 快諾して下さいました。自己紹介を重ねるうちに、なんと、彼女は、山本照道先生が九十九里中学校ご勤務時代の教え子だったのです。更に、数多の生徒の中でも秀でた彼女の芸術性のお蔭で、彼は彼女の印象を記憶していました。
英訳作業約10年間に「四つ葉のクローバー」、「海の熟語」等、数多くのアンソロジーを出版されておられた山下先生の作品を、田舎の小さな商店主兼、非才な英語教師が英訳できる光栄と幸運を噛みしめています。英訳する度に、太平洋の潮の香りが私を包みます。私のブログの中は、いくつものジャンルが公転しています。例えば、カナダのTim Beebe氏の英語俳句の和訳、タイ奥地でキリスト教布教に腐心しておられる Richard Rees一家の活動記録の和訳、マレーシア英語教師のYap Socy先生から送られてくる金言や最新ニュースの和訳、新井高校時代の恩師、新井豊先生と情熱を傾け完成した「百人一首英訳連載」、「外国人が知りたがっている当地の歴史文化の紹介」、「漢文名句の英訳」… が順番を待っているのです。そのため、山下先生の英訳詩は、毎月ほぼ一篇で更新しています。この10年ほどで、「山下佳恵・あなたへ サイトマップ」記載の半数位、約150篇くらいになったか… 300篇以上になったら “Yoshie & Yoshy’s Duet Poem”として、書籍化することが私の身勝手な夢になっています。
英語を活かさせてもらえているこの半世紀中、通訳、LL本部派遣外国人講師、勤青ホームでの英会話指導で知り合った外国友人、LLサマースクールでご指導下さったJabusch一家、 母校新井小での英語指導の折のALTの先生方、2007年度から今に至るまで、上教大のBrown准教授や大妻女子大のWright教授、東京家政大の橋口名誉教授らを巻き込んで、英会話の楽しさを実感してもらっているM-PEC (Myoko Powerful English Club)等で知り合った十数人の外国友人が、私のブログをお読み下さり、感想や私の間違い英語のご指摘等でe-文通を楽しんでいます。いつまで続く事か… かつ消えかつ結ぶ泡沫の私達、詠み手も読み手も共に、Que Será, Seráと参りましょうか。
なお、この徒然随筆の題名 (Through Yoshie & Yoshy’s Duet Poem) は、いつも私のBlogを見守っておられる、山下先生のように感性豊かな荒井豊先生がお付け下さいました。この辺で、主題の「山下佳恵先生の詩」のもう一篇をご紹介させて頂きます。上記の「ハマヒルガオ」は、私が流れに任せて掲載、そして、次の一篇は山下先生と私が選定致しました。
「ドロップス」
“Drops”
(詩集:「海の熟語」-「生きているから」より)
缶を振ると音がする
カラカラカラと音がする
I hear the sound from this shaken can.
Sounds clattering.
もうなくなったと思っていたのに
まだ まだ あるよ と音がする
Though I believed the can had become empty,
Sounds clattering; it saying; “I’ve still got more.”
缶の中から出てきたものは
どれも白い飴ばかり
かけらだけしか残らない赤 緑 黄色の飴
What came out of the can are …
Only white candy-drops.
My favorite ones colored red, green and yellow are all crumbs.
甘く
少し癖のある白い飴
The white one was sweet but …
A little bit odd tasting.
苦手だった 子どものころ
いつからだろう
この味がわかるようになったのは
I didn’t like it ― when I was a child.
Hum…Since when …
Did I suddenly become relishing that taste?
カラ カラ カラと音がして
忘れ去られた記憶
心に残った白い飴
まだ まだ あるよ と主張する
Clanging in my ears,
My old memories are ―
In a very few crumbs of white drops.
They are making a noise; saying “we are more and more.”
「ドロップス」(了)
“Drops” (End)
人の記憶の濃さは、臭覚が一番大きいと言われます。私にとっては、「犬吠埼」、「銚子」等が、当時の潮風や銚子電鉄車内の匂いを呼び起こします。「音に出す言の葉」が持つ特質を昇華させている例として、日本で言えば「民謡の中の方言や合いの手」や、宮沢賢治の童話等がすぐに思い浮かびます。-「どんぐりと山猫」では、滝が『ピーピー』、たくさんの白いきのこが『どってこ、どってこ』…. 英語圏では、LL英語教室の低学年で指導している「マザーグース」等のオノマトペが代表例でしょうね。- “Old MacDonald Had a farm … E-I-E-I-O”、 “Pata-cake pata-cake”…
「ドロップス」の中の「カラ・カラ・カラ」も強烈な懐かしい匂い、味を運んでくれます。山下先生の詩には、このようなオノマトペが「お汁粉のお塩」のように命を吹き込んでくれているのです。さて、それらの英訳となりますと、私の非才な所為でもあるのですが、その適語が日本語より圧倒的に少ない気が致します。私の長年の勘ですが、OED (Oxford English Dictionary)のような大辞典で探しても、広辞苑のそれと比較して10%ほどしかないのです。更に興味深いことは、虫の音となると、1%ほどなのです。私の外国友人の、とりわけ欧米人達の多くは、「蝉や蜂の音はどちらも “buzz, buzz”って聞こえるけれど、鈴虫、松虫 ...って、鳴くのかい?あれは、雑音(noise)でしょ?」と真顔で聞き返す始末なのです. 人種別聴覚範囲格差を調べる研究って、小学生英語授業の課題になり得ると思いますよ。英米人だけがALTではないのですからね。
嬉しいことに、日本の文化の奥深さに興味を抱く外国人が増えている昨今です。2000年9月に、スロベニアで「世界俳句協会: “The World Haiku Association”, WHA」が発足しています。なお、スロヴェニ・グラデツ市と妙高市は姉妹都市で、交流の折に私は、何度か通訳させてもらっています。只、ダンサーや高校生の場合は、巻き寿司、習字、琴、太鼓、着付けの話題が多く、観光を主眼とした訪問では観光地見学が中心で、なかなか俳句の話題には入れませんでした。外国人経営者相手の、ロータリー、ライオンズ等の民間企画でさえもディベートなど夢のまた夢。あいうえお教室の一員だった時の私は、企画進行に参画できて楽しかったのですが、もしも私が一人で、英語でディベートしていたら、この町の居心地が悪くなること、言うまでもありません。(笑)
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を “While eating a persimmon, I hear the bell of Horyuji-temple” としてみても…. 百人一首の英訳でも感じたことですが、俳句、狂歌、都々逸(どどいつ)、浄瑠璃(じょうるり)等、日本独特の詩的表現の英訳には限界があります。でも、近年、古民家、刀剣、仏像、田舎での自活などに憧れる外国人が目立ってきていますね。日本の田舎が大好きな英語教師、ベニシアさんは、TV番組で、英検4級レベルの英語で日本の良さを朗誦なさっています。お寺の鐘の音をどう表現なさるか、私と話したら話が尽きないだろうと思います、が、相手が高名過ぎて、「提灯に釣り鐘」(Can a mouse fall in love with a cat?:鼠は猫を愛せますか?)。(笑)
英会話上達の基は、「好奇心と、問題意識と、少しの度胸」の3点にあるというのが私の持論です。暗記と偏差値重視の英語学習からは、英会話力は育たないことは誰しも分かるのに… 『先ずは合格だ!』の呪縛が戦後以来77年続いています。日本人、ALT問わず、英語指導者は、タブレット相手ではなく、この3点を基に研鑽し教案を作り実践してゆく姿を見せてこそ、生身を見ている生身の生徒達が育ってゆくものなのです. 老若男女問わず、心とは、喜怒哀楽、美醜の塊なのです。言語学習は、人生同様に困難なことの方が多いことは、真剣に人生を歩んで歯を食いしばっておられる親御も教師もご存知な筈です。
「英語学習者の志は、学習をアクセサリーとすることなく、花鳥風月に心が動かされる全人教育の中にある」のだと、英訳させて頂く折毎に自省し、山下佳恵先生に感謝している日々です。
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