#19 小学校だからできること

2011.3.4(金):上越タイムスに掲載

新井小学級担任セミナーの一こま
新井小学級担任セミナーの一こま

■教室を開設してから37年目になります。始めたばかりの頃は、ずいぶん批判されました。「日本語も満足でないというのに」、「学校で教えないような無駄なことを何故?」、「受験英語をしていれば充分!」…。この40年足らずの間に、私の持論、「英語は世界をつないでくれる便利な道具」、「『英語を』ではなく、『英語で』コミュニケーションできるように!」が、今では常識となりつつあります。

 

■それでもまだ、誤解がたくさん目につきます。CRT(学級担任)セミナーで指導させて頂いて痛感した最たるものは、「CRT自身の発音に対する卑下」です。

 

■興味深い実験があります。日本の教養人の英語は、他のアジア諸国の人によって約75%理解されましたが、アメリカ人の英語は約55%の理解にとどまりました。そういえば、国連などの国際会議では、普段はお国訛りのある英語に耳を傾ける各国代表が、英米人が壇上に立つと一斉に通訳用のヘッドフォンをつけ始めるというエピソードは有名ですね。つまり、母語話者の英語は絶対的なモデルではないことを意味します。三単現のsの脱落や、過去形の不規則変化を間違えても、その場の空気で理解されるなら、それらは「過り」ではなく、「個性」又は「違い」として受け入れられているということです。書道でいえば、万人が書家のように達筆でなくてよいということと同じです。

 

■勿論、独りよがりの英語では、「良い道具」とは言えません。書道のように、「お手本」としての母語話者の英語は必要です。小学校英語活動の中で言えば、CRTは過度にALTのような母語話者の英語を真似ようとしなくてよいと言いたいのです。「発音や英文の正確さではALTにとても敵わないので、教案作りも進行もALTに任せておこう」という「受け身の姿勢」がCRTの心に巣くっている気がしてなりません。「日本人英語としての許容範囲」に自信を持って、CRT自身の思いや考えを教案の中で展開してほしいのです。多少のルール違反を笑い飛ばせる小学生だからこそできることの一つです。

 

■ハロウィーン、クリスマス、バレンタイン…のように異文化を理解し親しむことも大切ですが、海外研修等での外国友人さん達は「郷土の文化や自分の学校生活などの紹介」の方により関心を持ってくれるのですから。CRT自身が、英語という道具を磨き続ける意欲がある限り、ALTは、CRT自身の学習のためのアシスタントであるべきで、わざわざALTに巨費を投じて雇う必要はないと私は考えます。

2011年3月4日(金):掲載
2011年3月4日(金):掲載
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