2020 (R-2) 4月発刊:「火の山 みょうこう」、販売中です。
絵本のようですが、早津賢二先生の科学者としてのライフワークの「妙高山」 (2,454 m) のこれまでの半生 (誕生から現在、未来)を、分かりやすく解説しておられます.
ご家庭に1冊、必需本だと思います。
2,145円 (税込)
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「新潟焼山火山」
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2015. 2月26日(木)~早津賢二先生著「新潟焼山火山」(B6サイズ、133ページ)を(有)志保屋書店で発売開始致しました。
2020. 4月現在、志保屋書店には、残部0冊。ありがとうございました。
限定販売で、頒価:1,620円(税込)です。
日本で一番若い活火山:焼山の生い立ちから今後の活動予測まで、たくさんの写真と図解資料で私たち素人にも分かりやすく解説しておられます。
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「新潟焼山火山」:
渡辺満久先生の書評ご紹介
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早津先生の「新潟焼山火山」の内容をもっとうまく伝えられないかと思ってきましたが,最近,同書を紹介してくださった書評を入手することができました。早津先生の業績のみならず、お人柄にも触れておられますので,このページで紹介するのにふさわしいと思い,その要約(抜粋に近いですが)を掲載させていただきます。なお,『新潟焼山火山』は,すでにほぼ完売状態です。。志保屋書店 :Tel:0255-72-2025にご連絡くださいませ。
なお、早津賢二先生は、糸魚川市の公式ホームページ、「教育文化」で紹介されています。
渡辺満久先生(東洋大学)の書評より
抜粋と一部加筆は遠藤由明。(2015.05.27)
出典は:地理学評論、第88巻、第3号(2015年5月)、pp.292-294.
早津賢二:新潟焼山火山――その素顔と生い立ち――.妙高火山研究所,2015年,133 p,1,620円(税込)
早津賢二氏は火山学を専門とする研究者であり,新潟県の妙高火山群や新潟~長野のテフラの専門家として,地形研究者の間でも非常に著名な研究者である。そのお人柄に惹かれ,精緻な研究成果を学ぼうと,共同研究を申し込んだ地形研究者は少なくない。
「まえがき」で述べられていることは,2014年9月に発生した木曾御嶽山噴火とその被害,そして焼山への連想である。「平和な年月は以前の災害の記憶を歴史の中に埋没させてしまう」ことを憂い,「数百年に1回といっても,それは明日起こることかもしれない」ということを強調している。早津氏は,噴火予知や防災の専門家ではないが,「焼山に係わってきた(研究)者として,現在までに解っていることを,地元の皆様に伝える義務がある(括弧内は評者追記)」と述べておられる。このような主張は,綿密な現地調査と歴史資料の検討に裏打ちされたものであり,説得力抜群である。
第六章の最後では,災害は数十年~数百年という長いスパンで繰り返されるので,自然災害の記憶を人々の心に留めることが重要であるが,1933年の昭和三陸津波から78年後,東日本大震災において同じ過ちを繰り返してしまったと述べている。また,今後は,学校教育で地震や津波のことをきちんと教え続けることが重要であり,小学校のときからきちんと教育することによって,デマなどに惑わされずに,情報を有効に活用できるとも主張している。「日本列島の自然は,火山や地震など,自然災害をもたらすいろんな力によってつくりあげられてきた.知恵を出し合って,自然との共存,火山との共存を図っていこう.」と締めている。
「あとがき」で印象的だったのは,「前著『燃える焼山』(早津,1992)を書いたころ,まだ起こってもいない噴火や災害のことをとやかく言うことに対しては,むしろ煙たがられる傾向が強かったように思います。防災マップについても,否定的な反応を示す人が少なくありませんでした。観光や企業誘致,土地の価格などにマイナスの影響を与えるというのがその理由です。しかし今日では,事実をありのままに伝えてほしいという要望が多くなっています。(括弧内は評者追記)」という記述である。我われ変動地形研究者も同様の見解をもっているが,反論もありその声は決して小さくはない。早津氏も同様の経験をされてきたと思われる。
本書は丹念な野外調査と歴史資料の検証にもとづいて明らかにされた焼山の活動史を整理したものであり、それが正しく伝えられるように遺された書籍である。火山活動だけではなく,遺跡や歴史時代の人間活動との関係を重視している。また,火山活動の推移と今後の被害予想,ハザードマップの活用にまで記述が及んでおり,火山学が専門ではない読者にとっても魅力のある内容となっている。随所に鏤められた,こだわりの写真や挿絵も楽しい。
実は,早津氏は研究機関に所属する研究者ではなく,新潟県妙高市にお住まいである.「研究費のすべてを自費でまかなわなくてはならない」状況におられる,一流の研究者の業績・誇り・意気込みが伝わる書籍を是非ご覧いただきたい。火山災害への警鐘に対する批判への対応や,日ごろの研究活動,出版活動のご苦労など,生ぬるい研究環境に浸っている評者には想像もつかない.ご苦労のほど如何許りかと、推察するのみである。本書の中身については,地元の書店のホームページ(志保屋書店,2015)にも紹介されているので,こちらも参考になる。
文献
志保屋書店 2015.「早津賢二先生の世界」:www.shihoya.com ➡「すてきな先生たち」➡「早津賢二先生の世界」
早津賢二 1983.『新潟焼山火山の地質と活動史』妙高高原町教育委員会.
早津賢二 1985.『妙高火山群――その地質と活動史――』第一法規出版.
早津賢二 1990.『妙高は噴火するか――妙高火山の生い立ちを探る――』新潟日報事業社.
早津賢二 1992.『燃える焼山――知られざる火山 その現在・過去・未来――』新潟日報事業社.
早津賢二 1998.妙高火山「多世代火山」の成り立ちを知る.高橋正樹・小林哲夫編『関東甲信越の火山Ⅰ フィールドガイド「日本の火山①』134-15.6築地書館.
早津賢二 2008.『妙高火山群――多世代火山のライフヒストリ――』実業広報社.
早津賢二 2012.『妙高は噴火するか』新潟日報事業社.
(渡辺満久)
「はね馬の起源」
2010.10.05th 早津賢二先生からの「M-PEC へのご回答」:
「はね馬」の雪形がいつ頃から見えるようになったのか教えろとは,難しい注文ですね.
はね馬が見えるようになるには,(1)はね馬の崖をつくっている溶岩が噴出し,(2)神奈山の北斜面に大きな沢が刻まれ,(3)はね馬の部分が崩壊する,という3つの事件が関係しています.
(1)の溶岩は二代目の妙高(妙高は四つの世代からなっています)に属する幕ノ沢溶岩層で,今から10万年ほど前に噴出しました.
(2)の沢は片貝川支流の馬形沢(片貝川D沢)で,数万年前にはほとんど今の形になっていたでしょう.問題は…
(3)のはね馬の形を決定した崖崩れの時期です.今のところ時代を決定する確証はありませんが,地形から判断して,数千年以内ではないかと推定されます.おそらく千年のオーダーでしょう.
そうだとすると,私たちの祖先である縄文人も同じような形をしたはね馬を見ていたかもしれませんね.あまりお役に立てずにすみません.