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関 脩先生からの「ご直筆書簡」は、横の下層目次:「ご自筆書簡」をクリックなさってください。

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20121017 From志熊様:神奈川新聞記事(2012-10-17)-1.p
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2008.04.11
2008.04.11

神奈川新聞:関 脩先生追悼記事 An memorial article of the late Mr. Osamu Seki

 

関 脩先生は、M-PECの顧問でいらっしゃいました。

The late Mr. Seki was an advisers of Myoko Powerful English Club (M-PEC).

 

ご命日:2011年(平成23年)10月19日から1年以上も経ってしまいました。

One year has already passed since Mr. Osamu Seki’s death-day: October 19th.

 

志熊晴一様(聖光学院第1期生) 他6名の関先生の教え子が中心に編集、今年の10月19日に発行された遺稿集「邂逅の妙を思いて」がヨッシーの手元にもございます。

Yoshy on hand has the book of Mr. Seki’s posthumous scripts, “Kaiko no Myo o Omoite: To Think of Wonder of Encounter”, which was edited by Mr. Seki’s students, Mr. Seiichi Shiguma and the other six ones (the graduates from Seiko Gakuin), being published on the first anniversary of his death-day.

 

志熊様がご取材の折に提供させて頂いた「私へのe-mailでのご書簡の一部」も掲載されています。

Thanks to Mr. Shiguma, “a few parts of many exchanging e-mails between Mr. Seki and me” are put on it, too.

 

志熊様とのお約束通り、遅まきながら、やっと「関先生ご直筆書簡」を整理し始めました。

As Yoshy promised with him, I started arranging “Mr. Seki’s a.l. (autograph letter)” , which is just belated.

 

「ご直筆書簡」の件数、文量の多さは、メールご書簡の比ではありません。

The number and quantity of “Mr. Seki’s a.l.” is pail in comparison with our exchanging e-mails.

 

S様のためにというより、私自身が身を引き締めるために、根気よく、下記URLに追加してまいります。

This work is not only for Mr. Shiguma but also for me; in order to make me brace for myself. I will add his posthumous scripts written by his autograph on URL as described below.

 

多分、1年以上はかかると思います。楽しみです。

Probably it would take one year and over to finish uploading, but Yoshy is happy to do it.

2007.01.04:ご投函「ご年始状」の一部

 昨年末、先生のご情熱溢るるM-PEC設立のご趣意書を拝見、常日頃頂戴いたす教室ニュースなどにより覗い知る先生の教育へのご熱意の集大成も斯くあらんか、と敬服いたしましたが、その熱血そのままにきっと寒さを吹き飛ばす元旦をお迎えになられたことと拝察、慶賀の念を新たに致しました。(中略)

 もし、そのような小生の微力を以てしても、お手伝いできるものであるならば、と、ご賛同、申し上げ、ここに一筆執った次第です。(中略) なお、小生の略歴などは、拙著「かたみのバラード」の奥書にあるものをご利用頂ければと存じます。(後略)

2007年睦月四日

関 脩 拝 遠藤由明様

 


以下は、e-mailでのご書簡です。

故・関 脩先生との往復書簡集

Correspondence Between the late Mr. Seki and Yoshy

■遠藤由明にとって、敬愛する巨星のお一人が、関 脩先生です。

■40年近いお付き合いでの往復書簡を中心に編集を始めました。

■今年度一杯かかるかと思います。

■お互いに手書きの書簡が中心でした。

■先ずは、イーメールの中から、公表可能なお便りを時系列に並べて参ります。

■「手書きのお便り」や「お写真」など、追加した場合は、その都度お知らせ致します。

 

M-PEC顧問:関先生を悼む: Mourning Over the Death of Mr. Seki, an Adviser of M-PEC

<From Blog 2011.10.25>

■訃報です。関 脩先生は、ヨッシーにとっての、日本文化、国語の先生でした。5年前のM-PEC設立時からの顧問としても得難いご指導を頂きました。略歴と、昨年度の「激励文」をご紹介して、ご遺徳を偲ばせて頂きます。

This is the news of Mr. Seki Osamu’s death. He had been Yoshy’s great teacher of Japanese culture and the language of Japanese. When M-PEC was established 5 years ago, he was one of the advisers of M-PEC. Letting me again introduce his C.V. (curriculum vitae), I am recollecting his memories.

 

関 脩先生を悼む

<From Blog 2011.11.11>

■関脩先生が、10月19日、ご逝去されました。先生は、私の偉大な師であり、M-PEC顧問でもありました。日本の歴史、古典に精通しておられたのみならず有名な作家でもあられました。私達にとっては、「日本の文化を英語で紹介」する活動にとって貴重な先達(せんだつ)でした。

Mr. Osamu Seki, one of Yoshy’s great teachers and an Advisor of M-PEC passed away from malignant lymph tumor in his bed of a hospital on October 19th, 2011. He was not only well informed about Japanese history and classics, but also a famous novelist. I. e. He was, for us, an intelligent guide indeed whenever we needed to learn “the way of introducing Japanese culture in English”.

 

■奥様のお便りのよると、病床で、「遠藤さんとLL英語教室オーナー仲間として知り合えて、又、我が意を得たM-PECの理念の実践に関わることができて幸せだった。」と繰り返しおっしゃっておられた由。更に、「遠藤さんに送る手紙が書きかけだ…」とも。多分、ここに掲載されていただろう「激励文」ではないかと思います。

According to his wife’s letter to me, he was repeatedly telling her “I was happy that I could be one of his friends as an owner of LL English School” furthermore, “I’m writing to Mr. Endo on the way to the end. …” – Probably the letter must be “Special Message” which might have been put on here.

■衷心より出会いを感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。

I would like to express my deepest condolences on the passing away of him.

 

 

故・関 脩(せき おさむ)先生Profile M-PEC顧問 

1932年 東京芝区(現港区)に生まれる。國學院大學文学部卒。國學院高校、聖光学院中・高校教諭を経て、1975-2000年、横浜で「アカデミア港南台(旺文社LL英語・数学教室)」を経営。その傍ら、国語教育に従事。文筆活動、史跡探索案内などを通じ、日本伝統文化に基づく「美しい国語」の再興に専念。1975年【Fm-fan】誌の懸賞作文に特賞、ヨーロッパ音楽旅行に招待。1976年【神奈川新聞】の懸賞小説に『ザルツブルグの霧』で入選。著作:「かたみのバラード」(1994・近代文芸社)、「連翹映えて」(2002・文芸社)。日本ペンクラブ(N)会員。2011年10月19日(水):ご逝去。享年79歳。

 

ご送信日時:2010年10月28日14:54

 

■同じ「旺文社LL教室」のもと、「生きた英語」を小・中・高生徒のみなさんに身につけて欲しいとの念願を抱き、御地「新潟」と当地「橫浜」と離れながら、ともにその仕事に携わってまいった私でございます。

 

■私は過去、中・高校と私教室合わせての四十数年を、国語教師として勤めてまいりました。その間常に根底としておりました信念は「〈言の葉〉の持つ神通力」……紀貫之は古今和歌集の仮名序でそれを「力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ」るものと説いておりますが……それを畏敬し、何とかして後生に伝えたいという想いでした。そして、遠藤先生はまさにこれと同じ思いを英語教育に実行しておられると知り、それが成就されんことを祈っていたのです。

 

■ともすれば今日の英語教育は実用に役立つことを主目的にしているかに思われます。端的に申せば、外国に行ったとき、道を尋ねる時や、レストランでの注文、店での買い物などにはどう話しかけるか、などなど……。そのコミュニケーションの取り方も確かに大切ではあり、それを否定するものではありません。私はせっかく外国の言葉を学ぶのだったら、それを基礎とした上で、さらに深く、心と心を通わせ、微妙な感情、意味、色合い、声音などを知るよすがと極めるよう努めて欲しいと念じるのです。こう申すと難しいと思われるでしょうが、遠藤先生の今日熱意を込めて実行されておられるのがまさにそれへの道筋だと私は信じているのです。

 

■すなわち、「民話」などを始めとし、いろいろな「劇」を外国語で演じることにより、それぞれの国人の「言葉」の持つ「真の力」を知り、結果として他の国の文化をより深く理解することへも通じ、広い視野を備えた人に育つと信ずるからなのです。

 

■現在その実行に努めておられるM-PEC会員の皆様のご努力が、きっと実を結ぶに違いないと信じ、ご健康にはあくまでもご留意なされ、お努め下さるよう念じます。合わせて教室に学ぶ皆様もまた進まれる先に、佳き道の開かれるよう心からのお祈りをいたしおります。

関 脩  拜

 

Message from 関 脩先生 0n 20080827

 

■M-PECが、そのご活動の実を豊かに結ぶ秋を迎えられたことに、まずは心からのご慶賀をお捧げいたします。

 

■主宰される遠藤由明先生の並々ならぬご熱情とご努力が主たることは勿論ですが、そのご熱意に賛同され、それぞれ知力の向上に注がれる会員ご一同のご意欲との、見事な結実と、敬服申し上げます。

 

■とりわけ、「ことば」は人と人との繋がりを生み出す、人類にとっての貴重な力の源泉ですが、近頃の世相はこれがおろそかになっております。~お金を機械にポント投げ入れてボタンを押せばガチャンと希望の品が手に入る、ネットの画面に現れた商品についてクリックするだけで郵送されカードで決済される~そこには「ことば」の入り込む余地など全くありません。かつて私どもは、それぞれ専門のお店に伺い、その方と「ことば」を交わし、あれこれ選ぶ品について詳しく知り、有難う!と感謝を表し、手に入れました。それどころか、行きつけの書店では主人と書物をめぐって話すうち、私の好み、志向まで理解され、「今度、あなたの望むような書物が入りましたよ」と勧められ、新しい世界が開かれたことなど、少なくありませんでした。

 

■それが今はどうでしょう。かりに「ことば」を交わす機会があったにしても、スーパーのアルバイト店員さんなど相手にすると、品物について訊いてもご存知ないか、「お待ちください、今係の人に訊いてきますから」という調子です。事ほど左様に、「ことば」は、人と人との間に立って、互いの理解を深め、互いに新しい世界を知らせ合う、大きく得がたい力を持っているのです。

 

■ですから、母国語は言うまでもなく、それを他国の人々と、その国の「ことば」で語り合えば、さらに心と知との世界は大きく広がり、全地球規模の目が展がる…これこそこの世に生きる悦びと申せましょう。M-PECは、まさにその悦びを得、分かち合う集いです。

 

■そして、最も重要なのは、すべてが手造りで運営されているということです。今回も、LL教室での「十二支」とM-PECでの「六地蔵」という、この日本土着の民話を素材に選び、それを英語によって台本を作り、演出、上演するという、まさに理想のあり方だ、と存じます。

 

■私は遠藤先生からお声を頂き、及ばずながら顧問の名を頂戴しております。それが私には Come on! と言われているように思われてなりません。(聴音が悪いせいでしょうか?しかし、それの持つ他の意義「詐欺師の手先、つまり、さくら」とは絶対に違います!念のため)。事実、本当はお伺いして、その和やかな中にも真剣なご研鑚ぶりに接したい思いは山々なのですが…。取り敢えず今回は当地、横浜から、そのご成功、将来に向けてのますますのご発展を、~おめでとうございます~との「ことば」とともにご祝福申し上げます。

関 脩

 

ご送信日時:2004.04.25 10:56

拝復

遠藤由明先生

■メール拝受いたしました。小生、いささか勝手なことを申し述べたかと、反省しきりでしたが、お受け取り下さったご様子、こそばゆさを覚えながらもホッといたしております。 

 

■さて、先生はいろいろと名言、格言を心の中に温めておられますね。素晴らしいことだと感服いたしおります。それぞれが、人生の要所において生き、大きな示唆となり、また、改めて人生を見つめ直す根元となって蘇る、これこそ真の学問のあり方だと小生も信じております。

 

■ところで、福沢諭吉の批判に対する勝海舟の返答:「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与わず。我に関せず。」の言葉、恥ずかしながら小生は詳しく心に入れてはおりませんでした。従って残念ながら正確な漢文表現でこれを再現することはできません。ただ、小生なりにこれを解釈してみると、こういう所に落ち着くのではないかと存じます。あくまでも小生の勝手流ですので、それでご容赦下さい。

 

■「行蔵、すなわち、進んで道を行うも、才能を顕示することなく退き隠れるも、すべては我が信念に基づくものである。毀(そし)るも誉(ほ)むるも、それは他人のそれぞれの考えであり、そこからくる言動によるものである。我はそれに与(くみ)することもなく、また我の関知するものでもない」

「行蔵存我、毀誉他人主張、我不与、我不関焉。」

 

■先生は、「クラシックミュージック、書道、、、好きなことが皆中途半端」とおっしゃいますが、常にそれが心の中にあれば、決して中途半端なものではないはずです。心の中にしっかり蓄えて、お育て下さい。

 

■相変わらず、要らぬお節介でしたかしら……。ここらが元教師の悪い癖、平にご海容のほどを……。

では、寒暖激しい天候のこのごろ、ご自愛の上ご活躍下さいますように。    

関 脩

 

ご送信日時:2004.10.25 9:21

From: Yoshiaki Endo

To: 関 脩

Sent: Monday, October 25, 2004 11:57 AM

Subject: Re: 大地震お見舞い感謝

 

関先生:ご心配おかけ致しました。当地、新井市には被害報告がありません。拙宅、教室ともお陰さまで異常ありませんのでご安心下さい。昨日、10/24(日)の午後はスピーチコンテスト出場者への特訓で、ほとんどの生徒や保護者が元気にきていました。

人的被害がなかっただけ良かったです。被災者の方々の復旧、回復を祈るばかりです。

御礼まで。

遠藤由明

----- Original Message -----

From: 関 脩

To: Yoshiaki Endo

Sent: Monday, October 25, 2004 9:21 AM

Subject: 大地震お見舞い

 

■しばらくご無沙汰しております。

 

■さぞかし理想に沿った英語教育に専心されておいでと、安心しておりましたところ、今回の大地震。俄にいかがしておられるかと、気になりました。こちらもかなりのゆれ感じたほどですし、テレビ・新聞報道などでも酷い被害状況。さぞ大変なことで、お忙しくしておられることかと存じますが、取り敢えずはお見舞い申し上げます。

 

■どうかご無事でありますように、と、ひたすら願いおります。どうぞお大事に……。

2004年10月25日  関  脩

 

ご送信日時:2004.11.17 18:20

■お送りくださったメッセージ、拝見いたしました。いつもながら、教育に対する信念、そして、それをもとに生徒の方々に如何にわかりやすく、如何に心に響くようにお話ししかけるか、ご腐心なさり、実践される……そのご熱意に心からなる敬意を表します。

 

■メッセージに「教育のプロセス主義」を大切になさりたいとのお言葉がありましたが、これこそ、教育における原点であり、また、それなくして何の教育があろうか、と賛意を新に致します。

 

■教育者とは、生徒に対してすべてを与える者ではなく、極論すれば、むしろ、生徒には自分からは何ものも与えようとしてはならない、そう言う存在なのだということです。要は、日頃自分のもつ力を以て生徒に接し、そうした日常の中から、生徒の自主的に生きようとする心を自然に導き出す、そこに教育の最も枢要な道があると信じます。

 

■たとえば、小生に関して申せば、吾が選んだ文学の世界を生徒に是非とも伝えようとするのではなく、それを如何にして感動とともに見つけ出したか、そして、それに如何にして熱情を注いでいるか、そうした姿、心が伝われば、生徒は自分の感動で自分の道……文学に限らずこの世にいくらでもある……で情熱を注ぐ、そうした生き方をしっかり見つけ出すでしょう。小生はそうした生徒の育った姿を見て、はじめて我が道足れりとするのです。

 

■先生の場合で申せば、「新井高校」の生徒諸君の姿、心意気から先生ご自身の道を見つけられた……それこそ大切なことだったのです。

 

■つまりは、他から示され、他から押し付けられた道であっては、生きがいは生まれないし、また、失敗したときには必ずそれを押しつけた他に責任転嫁するでしょう。自分自身で見つけた道ならば、生涯情熱を以てそこに進みきるし、たとえ困難、苦難に行き当たろうとも、必ずのりこえて生きるのです……

 

■先生のご信念に触発され、またも、分かり切った持論をくだくだしく述べました。ぜひ、その道を進んでくださるよう、小生からもお願い申し上げます。少々雑事にとらわれ、拝見するのが後れ、ご返事が遅くなりました。あしからず……      

関 脩

 

----- Original Message -----

From: Yoshiaki Endo

To: Undisclosed-Recipient:;

Sent: Sunday, November 14, 2004 7:28 AM

Subject: 「雑感」お暇な折に:遠藤由明

 

■いつも心の糧とさせて頂いている私の先生、友人、卒業生、そして一部の在校生保護者さまへ:

 

■今日、11月14日(日)は私の教室30年目の「スピーチコンテスト校内大会:SC」です。節目としての雑感ですので、お時間のおありの折ご笑読下されば幸いです。

 

■SCでわずか10分以内に教え子達とその保護者に、私のLL教育理念を面白く、分かり易く伝えるにはどうしたらいいのか、毎年この日の早朝に考えます。私は「面授」という言葉が好きです。たとえ3分であっても、3歳児でさえ、この「雑感」以上の私の本性を見抜いてしまいます。

 

■今の日本は「結果主義」が蔓延している気がしてなりません。「利益さえ出れば良し」と考える日本人は総論としては、反対するのに、私も含めて個人的には、この風潮に靡いてしまいます。私が幼児の頃、新井高校(当時は『農商高校』と呼ばれていました。)の農業科生徒達が当店の前通りに、リヤカーで、「花はいりませんか~?」「大根はいりませんか~?」と、週に一度は売りに来ました。その男子女子生徒たちの作業着姿が、登下校時には立派な制服に変わっていました。どちらの姿も凛々しく見えました。「必ず新井高校へ入学するぞ」と多分、その頃から思っていました。中3になって、一部の大人は「高田高校以外は馬鹿ばかりが行く高校だ」と、私を諭すように心配してくれました。意地になって、新井高校に入学を果たし、今も満足しています。今と違って、定時制以外に、工業科、被服科…六科のそれぞれとの楽しい交流がありました。今は、更に酷く、成績序列化が進んでいる気がします。小売店も少なくなり、全国どこでも同じような「便利で速くて安い」店ばかり目立ちます。

 

■高3で英検4級に合格し、大喜びして、今は外国で大活躍している教え子がいます。中3で、「英検3級に合格できなかったので退学します」と言った親御さんもいます。

 

■「教育のプロセス主義」を大切にしたいと、この頃思います。6月にアジサイが咲くと思う子供が沢山います。犬と散歩していると、10月になってやっと花開くアジサイもいるんです。周りは萎んで汚くなっています。

私のLLも世間の波にもまれて、溺れそうになることがありますが、一人一人を温かく見つめて、縁ある限り「その子のプロセスの中で」育っていけるようにしたいと思っています。

今後もご指導くださいますよう。

遠藤由明

 

ご送信日時:2004.11.26 21:27

■ところで、先生は相変わらず「教育の本道……または王道」を目指して努力されておいでのご様子、そのお心が文面にあふれ出ておられるのに、いつものことながら感服いたしております。

 

■ことにも卒業生の方々が後輩の活躍を見に来る……それだけでも素晴らしい事ですのに、かてて加えて30周年の記念祝いにプレゼントを持ってきてくれる、これこそ先生のそのお心が生徒の心に通じ、いつまでも生きる糧となる、その証しなのだと、小生もまたほのぼのとした灯りが胸に灯るのを覚えました。

 

■そして、先生は先人の言葉を大切にしておられる、これもまた教育者としてとても大切なことだと存じます。きっとそうした心のあり方が生徒にも訴えかけるのだと信じます。

 

全く「有難い」事と感激しています。民間の教室ではありえないことと夢にも考えていませんでしたから。30年目にして初めて:確率として観たらまだまだ徳が足りません。1975に開設当時、当時の長寿クラブ連合会会長、杉山義抽先生が直筆の書「精華発育」を下さって、「徳を積み続けなさい」を守ろうとしていますが、欲ばかり先立つ自分が嫌になることがあります。そんな時、教室隣の、この事務室に掲げてある御書を見つめています。

 

■≪富貴而驕 自遺其咎≫ (富貴にして驕れば、自ずからその咎を遺す)という一句です。奇妙にこの言葉だけが心に残っていたのですが、それというのも自分がいつかはこういう反省をする機がくるという因縁だったからなのでしょうか」……言われて私は戸惑いました。実は彼らにそんな言葉を教えたという記憶すらなかったのです。きっと私は若さのいたりで自分すら意味の本当にわからない言葉をただ覚えたままにひけらかしたのでしょう。だから自分でもすっかり忘れていた言葉、それをこんな風にしてしっかり覚えていてくれた、それはそれで私なりに嬉しいことではありました。だが、その蔭から、また、怖さもわき起こって来ました。これほどに先人の名言とは心に生きるものなのか。教師たるもの、うかとした言葉はいえない。しかし、またその一方、自分が名言と信じ、崇敬する言葉はぜひとも伝えなければいけないのだ、と。

 

■どうか先生も、若い人たちに、たとえその場では難しいといって敬遠されようとも、ご自分がこれはと思われた言葉などは、何かの機会にふとその心に語りかけられますように。きっといつかはそれが生きてその人の支えになる日が来るでしょうから。

 

■またまた、くだくだしいことを申し上げました。どうかお許しください。ではますますご壮健でご精励ください。 関  脩 拝

 

はい。恥ずかしくあさましいことの方が多い私ですが、精進してまいります。

11/26(金)、自信の為延期されていたブロックオーナー会議に行って参りました。又、教材再編、名称は「旺文社LL英語教室」から、「STEP WORLD ENGLISH SCHOOL」に。(財)日本LL教育センターはそのまま文科省に認可されていますので、私は「LL」の文字を残したいので、「(財)日本LL教育センター提携校:STEP WORLD ENGLISH SCHOOL:LLシホヤ新井教室」が正式の改称となります。

来年2月で55歳、少しは人間が丸くなりましたが、相変わらず若い気持ちでいるものですから、心身の健康が一番です。着実にのんびり動いてゆきます。お知恵拝借、今後ともご指導ください。

遠藤由明 拝

 

ご送信日時:2007.02.20 17:33

■先日はご丁寧にお電話を賜り、有り難うございました。

何しろ、伊呂波歌留多そのものからは遠ざかっていましたので、はっきりとしたことは申し上げられませんでした。それが小生も多少気に掛かり、改めて調べ直してみました。このことについては、先刻ご承知のことかとは存じ、屋上屋を架するきらいがなきにしもあらずではありますが、念のため、確認しておきたいと、かくメールに託すことといたします。

 

■まず「り」については江戸歌留多では「律儀者の子だくさん」となっております。これにつき、尾張、上方では「綸言汗の如し(君子の言は一度口に出せば、汗のように取り戻すことはできない、だから決していい加減な事は口に出すことはできない)」を取り上げております。江戸では、ここにすでに「り」を取り上げたため、やはり「良薬」は「れうやく」でおさめなければならなかったのでしょう。因みに尾張、上方は「れ」には「連木で腹を切る(連木は擂り粉木の事で、これで腹を切る……すなわち不可能なこと)」を取り上げております。

 

■次に、「ゐ」については江戸では「芋の煮えたもご存じない」を取ったことはすでにおわかりです。これについては、尾張は「ゐり豆に花が咲く」をとり、上方は「鰯の頭も信心から」を取っています。この点を見ればどこでも「ゐ」が頭につくことわざがないため、やむを得ず本来の仮名遣いではない「い」のつくものを「ゐ」として取り上げたものと思われます。

 

■ですから、先日もお電話で申し上げたとおり、仮名遣いにはあまりこだわらず、シャレかアソビのつもりで使われたものと考えた方が至当ではないかと思われます。何しろ、江戸時代の人は縁起を担ぐといって、「するめ」を「あたりめ」と言ったり、「あしはら(芦原)」を「悪し」に通ずるというので、「よしはら(吉原)」と言い換えたりするのですから、後世のわれわれもそんな遊び心でとらえた方がよろしいかと思われます。

 

■すでに調べたものであり、もっと早くメールすべきであったのですが、ちょっとした取り込みでそちらにかまけたため遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。

ではお元気で。

関    脩

 

ご送信日時:2007.02.21 11:47

ご丁寧なご返信有り難うございました。

■小生は決してその方面に詳しいわけではありませんが、可能な限りの調べでの「い」と「ゐ」の問題をともに考えてみましょう。これも「せずもがな」の余計なお世話かもしれませんが……

まず万葉仮名で違いを比較してみましょう。

「い」=伊・夷・怡・以・異・已・移・易・因・印・壱・射・胆

「ゐ」=韋・為・位・威・謂・萎・委・偉・井・猪・居

これらを見るとき、随分数が多くみられますが、しかし、同じ字が混同してみられることはありません。また、同じ音でも、表記した人の、違いを何とか別の字で表そうとした苦心の跡が見られることもうかがわれます。

そのすべてを例記するわけにはまいりませんが、「ゐ」の用例を一つ二つ上げてみましょう。

吉名張乃 (猪)養山尓 伏鹿之 嬬呼音乎 聞之登門思佐

  「よなばりの (ゐ)かひのやまに ふすしかの つまよぶこゑを きくがともしさ」

佐可故要弖 阿倍乃田能毛尓 (為)流多豆乃 等毛思吉伎美波 安須左倍母我毛

  「さかこえて あへのたのもに (ゐ)るたづの ともしききみは あすさへもがも」

これに対して、「い」の用例はさらに遙か数多くありますので、一部だけ上げてみましょう。

……天地之 別時由 (伊)奈牟之呂 河尓向立 思空……

  「……あめつちの わかれしときゆ (い)なむしろ かはにむきたち おもふそら……」

……玉手指更 余宿毛 (伊)毛左祢而師可 秋尓安良受登母……

  「……たまでさしかへ あまたよも (い)もさねてしか あきにあらずとも……」

〈なお、小生不慣れのため、メール文字では傍点・アンダーラインが記せませんので、当該文字は()で示しました。ご了承ください。〉

 

■こういう風に比較してみましたが、これですべてご了解いただいたとは全く考えておりません。

どういう場合に「い」を用い、「ゐ」と表記したか、その発音の違い、因ってくるところなどについては、前述のごとく、小生も残念ながら全くわかりません。ただ、古人が、それぞれの語句の発音表記を何とか区別して後世に伝えてくれようとしたか、その腐心のほどはよくわかると存じます。そんな観点からよく見れば、それもまた意義あることではないでしょうか。

 

■今回の先生の問題提起で、小生もまた改めて考え調べ直す機会を得ました。その点について心からお礼を申し上げます。さらに一層のご活躍をお祈りいたします。

関 脩 拜

 

ご送信日時:2007.03.07 08:06

■お送り下さった教室ニュース拝見いたしました。かつて、小生もまた新しい生徒募集に、不安と意気込みを覚えつつ、ポースター張りに、地域新聞広告にと、奔走した日々のことを、懐かしく思い出しました。

 

■いまなお、情熱を以ておられる先生のお姿をそのニュースに重ね、小生もまた、そこはかとない若さの火が胸に灯るのを覚えました。形を変えてもその熱意だけは持ち続けたいと……。

 

■ご成功をお祈りすると共に、活き活きとした人生の意気を、これからもお寄せ下さいますよう、お礼とお願いを申し上げます。いよいよ春本番、明るい陽光が、先生の教室にもさしかかりますように……。

関 脩

 

ご送信日時:2007.04.08 11:32

■いつもご丁重なお返事を頂戴いたし、恐縮いたしおります。かてて加えて、小生の名札まで立派にお作り下さり、有り難うございます。面映ゆい思いも致しながら、しかし、何とかこうした形でだけでもその場に参加させていただけたこと、嬉しくもまた、身の引き締まる思いでもあります。とりわけての「参加」という実のあるお手伝いの出来ないのはもどかしく、申し訳なく存じますが、何か小生でもお役に立つことがありますれば、ぜひ仰ってください。微力の身で烏滸がましい申しようではありますが、出来るだけのことは致したく存じおります。

 

■併せお送り下さった、まばゆいほどに見事な銀嶺をいただく御地の美しい景色!これあればこそ、先生の教育へのご熱情は豊麗に育まれて今日に燃え立っておられるのだと、羨ましさを抱きつつ、今後のご発展をお祈り申し上げます。お元気でご活躍ください。

関 脩

 

ご送信日時:2007.04.18 08:06

■お送り下さった「上越タイムス」の写真入り記事いたしました。こうして、先生のご熱情溢れるご意欲とお姿が、広く社会に紹介されるということは、誰しもが今日の社会で、「こうあってほしい」という願いを持ち、その期待が実現された、という受け止めを表す証左であると存じます。

 

■これこそ、一つ一つの前進であり、それが社会にも認められた「力づけ」でもあると信じます。これをしっかりとした「踏み台」として、焦らず、力強い足どりで、自信を持って前途に臨まれんことをお祈りいたします。おめでとうございました。

関 脩

 

ご送信日時:2007.04.23 16:58

■「設立総会」開催のメール、拝見いたしました。

小生、心で逸りはいたしますが、如何にせん、おいそれとお伺いできないのが残念無念至極です。ただこの横浜の地から、当日のご盛会、ご成功をお祈り申し上げるばかり……。どうかその無情をご海容下さいますように、勝手ながらお願いいたします。ご出席の皆様方に、このような人物もおり、切歯扼腕しつつ、心でばかりは当日皆様と共に会場に参画しておる旨お伝え下さいますように。"M-PEC"の晴れの日よ、永遠なれ!

関  脩

 

ご送信日時:2007.05.10 13:47

■待ちに待った「5月6日の設立総会」の結果、本日拝見いたしました。

 

■先ずは33名という多くの方々のご出席を得、「スピーチ」はもとより、英語ゲームは勿論、パーティでは、手作り料理に舌鼓を打ち、ハモニカ、クラリネットとの合唱…と、メールで拝見するばかりではまどろこしい、本当にご一緒したかったとの思いが横溢いたしました。何よりご馳走を手間隙かけておつくり下さった会員がおられるとか、お言葉にあるとおり、「仲間作りの輪が広まった」ことが何にも増してすばらしいことであり、これも遠藤先生のご熱意が見事に発揚された結果であると、その盛会を慶祝するはもちろん、心からの敬意をお捧げいたします。

 

■きっと、この「輪」はさらに大きく広がるに違いありません。それを信じてお祝いの言葉といたします。Good luck to you and M-PEC!

関 脩

 

ご送信日時:2007.05.29 14:17

■お送り下さった教室ニュース、及び6月9日開催通知のメール拝見いたしました。お忙しいところ、いつもお心に懸けてくださり、感謝に堪えません。遠隔とはもうしながら小生何もお手伝いできず、忸怩たる想いを抱きながら拝見いたしております。

 

■先生のご熱情はいつものことながら、かくもお心をお籠めなさっての生徒諸君・関係者ご一同へのご通信、きっとその方々のお心には深く通じるものと確信いたしおります。

 

■英会話講座に関しては、会場費などご腐心のご様子を窺い知り、さぞかし……とご苦労の程お察しするにあまりあるものを覚えます。月並みな申しようではありますが、たとえ人数に多い、少ないの波はあるにせよ、やはり継続なさることが、いつかは佳い方向に向かう道が拓けるものと信じます。どうか挫けなさらず(余計な心配?)にお続け下さるようにと、心からお祈り申し上げます。

時節も佳くなりました。くれぐれもご自愛の上ご活躍下さいますように!

関 脩

 

ご送信日時:2007.06.11 12:31

■6月9日の研修会、全国的に荒れ模様でしたが、御地はかなりの雷雨だったご様子。その中を参加された方、さぞや大変だったろうとぞんじますが、しかし、それだけご熱心な方々であったと拝察します。これも先生のご熱心なお心がもたらしたものと信じます。

 

■悪天候でしたので、出席少数は覚悟していましたが、実は4名でした。たとえ、1名の参加でも、めげずに5年以上は続ける覚悟です。講座がマンネリにならないように、創意工夫しながら続けます。長年手をつけたくても出来なかったことが、このM-PECのお陰で少しずつ出来るように、というより、せざるを得ないようになっています。「マザーグースの歌と踊り」、かつての目白本部で学習した「ゲーム」の数々…化石を発掘して命を吹き込んでいるような気がいたします。参加者数は気になりますが、敢えて気にせず、自身の為にも、アクティビティを楽しみたいと思います。教室には、おもちゃのようなエレクトーンがあります。手品の道具もあります。未だ恥ずかしいことですが、手をつけていないのです。必要に迫られて自らを奮い立たせないと、宝の持ち腐れになります。毎日がきつく、一見、なぜこんなに見返りがなさそうな奉仕活動をするのかと、心配してくれる友人もいますが、つまりは自分の生き甲斐というしかありません。肩肘張らずに、楽しく準備を重ねてゆきたいと、自分に言い聞かせています。

 

■かてて加えて、貼付されたシナリオを拝見、これだけのものを準備されて、さぞかし大変であったろうと拝察いたしますが、こうして万端整えて研修会を企画される成果は、きっと実を結ばれるものと確信いたします。

 

■民話の英訳は初めてでした。「方言を英訳」は、不可能に近いことを実感しています。英語専門の顧問先生がたの反応を待っているところです。英語劇実施には、総論賛成ですが、いざ配役決定となると、今のところ皆無です。さてさて、どうなりますか…動きながら考えます。

 

■どうかよき方向に進まれんことを、とお祈り申し上げます。ご健勝を……。

関  脩

■先生もどうぞご健勝にお過ごしください。

追伸

 

■現在、私は「在住外国人対象日本語講座」の講師見習い中です。毎週火曜日の午前に、10名ほどの外国人(主に、中国、フィリピン中心で、英語が通じません。)が日本語を習いに、研修センターに集います。わずか4,5月中に5回の研修を受けただけで、2名の正規講師の指導を明日も見学です。英語を教えることは、日本語を学習することと表裏一体ですので、気楽に時間を作るようにしてしまいましたが、日本語の難しさ、更にはそれを教えることの難しさに身震いしています。きっと、今後、関先生に愚問を送信することになりますが、その折はどうかご指導ください。

遠藤由明 拝

 

ご送信日時:2007.07.16 13:00

■14日の研修は如何されたかしら、と、それが気がかりでおりましたところ、本日外出から帰ってまいり、新潟に大変な地震があったことを知りました。

 

■早速お見舞いを、と存じ、メールボックスを開きました。すると、14日の研修は7名の参加を得られ、無事成果を上げられたご様子のメールを拝見、それにはまず一安心をいたしました。人数の多少はこの際問題ではありません。熱心に通われる方がおられるということこそありがたいことであり、そうした人を失わず、そして、徐々に次の人々の心に広げていくことこそ大事だと存じます。英語劇「猿とひきの寄合田」は大変面白いと拝見いたしました。そのご成功を祈り、それがさらに新たな足がかりとなると信じます。どうぞ一歩一歩を大切に今後も努められるようお祈りいたします。

 

■そんなこんなで本来のお見舞いが後になってしまいました。この横濱にあっては、その時車で走っており、全くそんな気配も感じませんでしたが、テレビの画面では柏崎を中心に家屋の倒壊などあり、そのすさまじさに喫驚いたしました。御地は如何でしたでしょうか?土地関係がどうなっているか、ここではちょっとわかりませんが、先ずは取り敢えずここにお伺い、お見舞い申し上げます。どうかご無事でありますように……。まだまだ不順な天候も続くかに思われます。くれぐれもご自愛、ご活躍下さい。

関 脩

 

ご送信日時:2008.04.29 12:52

■昨日はせっかくお電話を頂きながら、途中電話で切り、失礼いたしました。

お話は、大変素晴らしいと存じました。もし、計画などが進みましたら、小生も興味がありますので、何かお手伝いできればと存じます。詳しくはその段階でまた、お知らせください。取り敢えずはお詫びかたがた、ご返事までにて。お元気でご活躍をお祈りいたします。 

関   脩

 

■ありがとうございます。教えていただきたいことがドンドン出てきそうで、嬉しいような申し訳ないような…私は実力がないのに、いつも夢が先行して、冷や汗だらけの人生を歩んでいるようです。

もっと認めたいのですが、もう今日:5月1日は、当地の白山神社の「風祭(かざまつり)」。町内の役員をしていまして、早朝6:45、集会所で「神輿の御祓い」です。

今後ともどうぞお導き下さい。

遠藤由明 拝

 

ご送信日時:2008.08.30 06:29

■お忙しいところにもかかわらず、ご丁重なご返信をいただきましてかえって恐縮いたしました。

小生の思うこと至らない拙文に、こうおっしゃっていただけると、むしろ痛み入る想いがいたします。推敲にいたずらに時を過ごすよりも、出来るだけ早く差し上げねばと急いだもので、もう少し丁寧に書けばよかったのにと、今なお忸怩たる念ひとしおです。

 

■なお、プロフィルに関してですが、小生としては著作に、2002年に文芸社から出版した「連翹映えて」をお加えくだされば幸いと存じます。これは、もはや数少なくなった戦争体験者の一人として、最前線の兵士としてではなく、一般庶民が戦火の渦に巻き込まれた記録として、ぜひ後世に伝えたいと念じた作ですから……。

 

■それでは、異常な気候の続きます折、ご多忙などお体には十分にお気をつけられてご活躍、当日のご盛会、ご成功を心よりお祈りいたします。

関 脩

 

ご送信日時:2008.10.03 13:28

■M-PEC Festival 2008 のご資料拝見いたしました。

 

■先生の英語教育に対するご熱意、それについてはかねがね申し上げております通り、ただただ敬服の一語をお捧げするばかりですが、今回のこのお仕事を立派に仕上げなさろうとする献身的なご努力を拝察いたしますと、決してそれが事英語に関するもののみならず、広く人間教育にまで及ぶ偉大なお姿となって小生の心が揺さぶられるのを痛感いたしております。

 

■その先生の並々ならぬご情熱を身に沁みて受けるからこそ、このFestival をぜひとも成功させようと、皆さんがあらゆる面で先生と一体となり、お力を注がれておられるのだと存じます。必ずやその成果は盛大に挙がり、かつ、今回のみならず、将来にむけても、育ちゆくものと信じます。

 

■いよいよ迫りましたその日、先生はじめ皆様の心に大きな秋の実りとなりますよう、離れましたここ横浜の地から、心からのお祈りを申し上げます。佳き日でありますように!

関 脩

 

ご送信日時:2008.10.17 11:23

■ご丁重なお手紙・ニュース、拝見いたしました。写真などで拝察いたしますに、大変なご盛況であったと、正直申して、驚きもあり、また、小生参加どころか、何もお手伝いさえ出来なかったことを悔しく、残念に思っております。

 

■驚きと申しますのは、これほどの人々が一つ事に賛同し、力を合わせてそれを立派になしあげられた、ということに対してです。殊にも英語劇などという行事、小生の体験から、母国語の演劇をまとめ上げることすらなかなかうまくいかないというのに、新聞記事でもこれだけの評価をしてくださったのですから……。

 

■このことから小生学びましたのは、やはり人の心を動かすのは、言葉が先立つようではいけない、なんといってもまず熱情が第一、そして、率先して行動する、それがあって初めて言葉が相手の心を動かし得る、ということでした。

 

■今回のご成功は、先生のその三拍子が見事に揃ったからこそ、その実をあげられたのだと、改めて敬意を差し上げる次第です。

 

■本来ならお手紙でそれを申し上げるのが小生の心にかなうところですが、それでは時間がかかり、「鉄は熱いうちに打て」、今回はメールにて失礼いたした次第です。お許しください。

 

■では今後ともいっそうのご発展をお祈りいたします。ご健勝で…… 

関 脩

 

ご送信日時:2009.02.03 10:48

■スピーチコンテスト全国大会で「優秀賞」獲得されたとのこと、先生のご熱意とご努力が着々と成果を上げられておられるご様子をメールにて拝見、まずは心からなるご祝意をお捧げいたします。

 

■小生からは既に遠のいたその歓びを、図らずも先生との関わりを持たせていただいたことにより、我がことのように取り戻し、同じく嬉しく存じおります。

 

■4月で35年目、やっと5人目の全国大会出場ですから、あまり自慢のできることではありません。T君のお陰で、久しぶりに都会の風に当たってきました。

 

■この素晴らしいお知らせを拝見致しましたのは幸いにしてメールを開いて日も浅かったのでよろしいのですが、その他にもお送りくださったお知らせの数々にご返事申し上げそびれていたのではないかと恐れておりました。もし、そのようなことがございましたら、勝手ながらここにお詫び申し上げます。

 

■と申しますのは、小生今年に入りまして一旬ならず、1月9日に腹部に激痛を覚え、かてて加えて39度6分もの高熱に、急遽病院夜間救急に馳せ込みましたところ、急性胆嚢炎と診断。放っておけば命に関わるとも言われ、その場で即刻開腹手術を受けました。しかも総胆管結石症も併発しており、結局三週間に及ぶ入院生活を送り、1月31日にようやく退院出来たという次第です。その間多くの皆さんとも便りを絶たれ、遠藤先生にも失礼していたのではないかと気にかかっておりました。

 

■せっかくの素晴らしいお慶びの折、このようなお話を申し上げるのも何かと恐縮を覚えたのですが、もし失礼があった場合のお詫びの申し上げようもありませんので、有り体にお話申し上げた次第、どうかその点をご海容賜りますようお願い申し上げます。

 

■お命に係る大病だったのですね。読みながら冷や汗が出ます。でも、ご快復に向かわれておられるご様子、胸をなでおろしています。「日々是好日」の深い意味が少しわかる年頃になりました。小生も含めて誰しも「今、ここ」がありがたいです。

 

■今少し自宅療養の要もございますが、これからは自宅におりますので、どうかこれからも素晴らしいお知らせを賜りますよう、ご熱情に満ちたご成果をお寄せくださることを念じおります。

 

■立春とは申せ、なお向寒の砌、お元気でご活躍のほどお祈り申し上げます。

関 脩

 

■先生も、ゆっくりご養生下さり、新しい春をお迎え下さいますよう!

 

ご送信日時:2011.01.31 09:24

■まずはお元気で相変わらず(いえ、以前にも増して)ご活躍のご様子、安心するとともに深く心服の念を抱きました。

 

■私も、幼いとき、祖母の米寿の祝いに山形・酒田へと向かった折、長岡で列車が豪雪のため動かず、駅に停車したままの列車の中で過ごしたことがあり、その時の何ともいえない恐怖の念を思い出しました。その思いを和らげようと、父と駅の外に出、雪を踏んで見回すと、電信柱の先端が顔のあたりにあって、びっくりしたことを、今もありありと記憶に留めております。

 

■私の場合は、ただそんなまるでおとぎ話の世界に入ったような不思議な思いを抱いた程度ですが、これが今日、拝見する写真に見るような、その場に生活なさっておられる方々の身になれば、どんなに大変なことかと眉をひそめるばかりです。どうかお体に支障のないようにと、お祈りいたします。

 

■今は、流雪溝(農業用水)と消雪パイプが、当家の裏表にありますので、私の子供のころと比べれば、大変楽になっています。その代り、近隣の助け合いの心が薄らいできている気がします。鈍っていた体には良い運動と開き直っています。

 

■もうひとつ、言語の習得を「コインの表裏」と表現された新聞記事には、思わず喝采をいたしました。言語によらず、これは人間の学びの道の根本的な真理(ひとつ事ではなく常にそれに伴う別の面を学び、より深く広い見識を広める)と信じ、私も全く同感いたします。

 

■先生のような国語の専門家にお見せした(今回も!) こと自体、神をも恐れぬ仕業と、恐縮しつつ、喝采を頂きましたこと、素晴らしい記念になりました。今回添付の新聞記事:#18には、誤植があります。写真の下は、「イマージョン・メソッド」です。近々、訂正記事が出るそうです。3月まであと4回の記事を書きます。ご批評くだされば光栄です。

 

■どうか、今歳もさらに先生にとっておおきなご収穫のある一年でますよう、重ねてお祈り申し上げます。では、末筆ながら奥様にもどうか宜敷ご伝言下さいますようお願いし、併せてお二方のさらなるご健勝を三度重ねてお祈りいたします。

関 脩  拜

 

ご送信日時:2011.03.11 11:13

■早速のお見舞いありがとうございました。

揺れた瞬間は丁度筆を執っており、びっくり、それから約三分近く大きな揺れに一時は恥ずかしながら、オロオロ、キョトキョトとパニックを起こしましたが、家や家財などには全く被害もありませんでした。

 

■その後は停電、それも夜八時半まで続きましたので、何もできず、テレビも見られず、ひたすらラジオの各地情報に齧り付いて過ごすばかりでした。今はテレビの情報に釘付けになっております。

どうか御休神くださいますようお願いいたします。

 

■序でながら今歳は可なりの降雪があったご様子、どうかくれぐれもお体をご大切になさり、ご活躍のほど御礼かたがたお祈り申し上げます。

関  脩 拜